黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

gtntグレープフルーツ

子供たちは土曜授業。昨年度は序盤の休校の分を取り戻すために月二回土曜授業があったのだが、一回と二回だと全然違うな。月一回だとたまにあるという感じなのが月二回だとあるほうが普通みたいな印象になる。
午後みんなでアイス喰おう! みたいになって近所のスーパーにアイス買いに行く。ガツん、とグレープフルーツというのがあって、ちょっと迷ったけど思い切って買ってみたらめちゃうまだった。これはまた食べたいな。新しいものに挑戦することと、おいしいと知っているものを食べる安心と満足をバランスよくやっていきたい。

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書類整理。フロアに置いてある書類を地下の倉庫に持っていきつつ、倉庫の書類で保存年限が過ぎたやつを取り出して段ボールに詰める、という作業で毎年この時期やってるのだが、昨年からチームがひとつ増えたので6人になったことと、なんだかんだ作業に習熟してきたこと、そして例年よりは運んだ書類が少なかったことなどいろいろあって四年目にして最速の一時間半で作業を終了できた。悪くない。しかし地下の倉庫狭いんだよなー。まあ言っても仕方ないんだが。

ダルバート

妻も家にいたので満を持してダルバートを食べに行く。なんだかんだ二ヶ月ぶり。けっこう並んでいておののいたが、最初の一回転目に入れたので問題なかった。今週の週替わりはヒマラヤ風キーマカレー。おいしいことはわかっているがここはあえてチキンカレーにしてみる。変わらずおいしい! アチャールの刺激、カレーの辛味、ダールのやわらかい味。どれをとっても、どこをどう混ぜてもおいしいんだよな。とはいえ妻にキーマカレーちょっともらったらそっちもめちゃうまだったな……二種盛りを活用していくべきか……。
なんか勢いでツイッターで「ダルバート」を検索してみたら、出してるお店はちょこちょこあるっぽい感じ。神田とかにもあるんだな。機会があれば行ってみたいけど、ちょっとまだ厳しいかな。

ちょうどよくて安い肉

在宅勤務。例によってお昼のおかずに食べるものを近所のスーパーに買いに出たところ豚タンが出ていて、喜んで買う。ここのスーパーでは初めて見た(駅前のスーパーではしばしば見る)。豚タンは牛タンの代用品としてかなり優れているとおれは思っていて、その割には安いからありがたいんだけど、皆さんどうお考えなんでしょうか。まあ安いってことはこれは代用にはならんと思われてるってことか。フライパンで焼いて塩をかけていただきました。おいしかったしちょうどよかったな。ごちそうさまでした。

ちぎりしま

息子が購読している読売 KODOMO 新聞(スポンサーは義父)に契島(ちぎりしま)という瀬戸内海の島が出ていた。全域が東洋亜鉛という会社の私有地で、ほぼすべてが工場になっているらしい。こんな島があるんだね。もうひとつの軍艦島とか呼ばれているみたいだけど、まあ本当にそんな感じで、島はほとんど建物で覆われている。工場は 24 時間操業しているため、30 人ほどが島の社宅に住んでいるそうだが、全部で9ヘクタールの、しかも自分の勤めてる工場がほぼすべてという島に住むのはどんな感じなんだろうか……。なかなかに想像をかきたてられる。
そもそもは鉛の精錬の際に硫酸が発生するから近隣住民に配慮して少し離れた島に工場を建てたということであったようだが、おそらく今であれば島に建てなければならないほどの汚染を起こすような工場ではないのだと思う。それでも一度建ててしまうと移すのも簡単ではないし、働く人が不便を我慢すれば利点も多いし、みたいなことで今に至る、のかな。国内最大の鉛工場で、シェアは 45% にのぼるらしい。
鉛は方鉛鉱(PbS)から作られ、一旦焼結して PbO を作ってからそれを還元して Pb を得る「焼結-溶鉱炉法」と直接 Pb を得る「直接精錬法」があるらしいが、この工場では前者らしい(「焼結工場」というのが記事の写真に書かれていたので)。その過程で生じる SO2 から硫酸を作っているようだ。

参照:2.C.5 鉛製造(Lead production)(CO2)[環境省]
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/ghg-mrv/methodology/material/methodology_2C5.pdf
※冒頭の反応式のいっこめが間違っている。右辺のふたつ目が 2CO2 となっているが 2SO2 が正しい。
錬金術の館 -- 鉛製錬
https://renkinjutu-no-yakata.com/lead/

国内の鉛鉱山は 2006 年を最後にすべて閉山し、いまは国産鉛というのは一切ないそうだ。知らないことばっかりだな……。

『歩道橋の魔術師』 呉明益著/天野健太郎訳 白水社:エクス・リブリス,2015-04-24

舞台は1970年代の台北。西門町と台北駅の間、幹線道路と鉄道に挟まれた細長い土地に八棟の団地が縦に細長く連なって建っていた。そこは中華商場と呼ばれ、当時の台北の賑わいの中心だった。それぞれは三階建て、一階と二階は商店兼住居スペースで、決して広くはなかったが家族で住む商店主も少なくなかった。団地と団地の間は歩道橋でつながれている箇所もあり、隣の棟同士の二階を直結すると同時に幹線道路と鉄道をまとめてまたぎこせるように渡されていて、四方八方に階段がつながっていた。歩道橋の幅は広く、両側に様々な物売りが勝手に店を出していた。その中にひとり、魔術師がいた。
連作短編集で、その中華商場に生まれ育った子供たちが、後年になって幼少期のことを回顧する、というフォーマットで書かれている。当時の中華商場の様子がノスタルジアを交えて(おそらくは忠実に)描かれるが、その中にさしはさまれる非現実要素がスパイスとして素晴らしくよく効いている。ほぼただひとり複数の作品にまたがって登場する魔術師は、歩道橋の上で手品グッズを売って生活している。時々は手品を実演して見せる。子供たちはそれに魅せられて購入するが、実のところみんな魔術師のことを知っているしなんならグッズも持っているので、子供たちの手品はまったく成功しない。ところが、時折魔術師は信じられないような魔術を使ってみせるのだ。
「九十九階」ではエレベータの使われ方が印象的だ。おれはマンション育ちだが、エレベータというのは確かに異界への入り口にふさわしい。「石獅子は覚えている」における使者としての石獅子の描き方が見事だ。「ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた」と「ギター弾きの恋」では若者の恋を鮮やかに切り抜いてみせる。なんなら傷の痛みまでセットにして提供してくれる。「金魚」に登場する金魚の儚くも美しいこと、さらりとした描写ながら憧れや胸の痛みまでかきたてられるほどだ。「唐(とう)さんの仕立屋」で活写される職人の仕事は無造作に見えるほど手際が良く、あつらえたての洋服のたたずまいが目に浮かぶ。それらの輝けるものが、子供の目に映る中華商場の、猥雑な、ネオンばかりがぎらぎらと眩しい、裕福とはいいがたい暮らしの中で、いかに確かな光を発していたかということを著者は描く。
なんというか、その感じがよかった。あんまりハッピーな話はない。なんだったんだろうと思わせられる話と、ちょっと悲しい話が多くを占める。にもかかわらずどこか懐かしさすら覚えるし、この世界に生きてみたかったという願望がわく。それってなかなかすごいことだと思うのだよな。ひさしぶりになにか物語を書いてみたくなった。

収録作品:(出典:https://www.hakusuisha.co.jp/book/b206385.html
歩道橋の魔術師
九十九階
石獅子は覚えている
ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた
ギター弾きの恋
金魚
鳥を飼う
唐(とう)さんの仕立屋
光は流れる水のように
レインツリーの魔術師

人類の叡智

天気が悪かったこともありだらだら過ごす。お昼はたらこスパゲッティ。今日はちゃんと茹でられた。おいしかったよ。ただバター 40g はちょっとやっぱりもそもそするかな(食えないことはない)。次は 50g でやってみましょう。