黄昏通信社跡地処分推進室

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『歩道橋の魔術師』 呉明益著/天野健太郎訳 白水社:エクス・リブリス,2015-04-24

舞台は1970年代の台北。西門町と台北駅の間、幹線道路と鉄道に挟まれた細長い土地に八棟の団地が縦に細長く連なって建っていた。そこは中華商場と呼ばれ、当時の台北の賑わいの中心だった。それぞれは三階建て、一階と二階は商店兼住居スペースで、決して広くはなかったが家族で住む商店主も少なくなかった。団地と団地の間は歩道橋でつながれている箇所もあり、隣の棟同士の二階を直結すると同時に幹線道路と鉄道をまとめてまたぎこせるように渡されていて、四方八方に階段がつながっていた。歩道橋の幅は広く、両側に様々な物売りが勝手に店を出していた。その中にひとり、魔術師がいた。
連作短編集で、その中華商場に生まれ育った子供たちが、後年になって幼少期のことを回顧する、というフォーマットで書かれている。当時の中華商場の様子がノスタルジアを交えて(おそらくは忠実に)描かれるが、その中にさしはさまれる非現実要素がスパイスとして素晴らしくよく効いている。ほぼただひとり複数の作品にまたがって登場する魔術師は、歩道橋の上で手品グッズを売って生活している。時々は手品を実演して見せる。子供たちはそれに魅せられて購入するが、実のところみんな魔術師のことを知っているしなんならグッズも持っているので、子供たちの手品はまったく成功しない。ところが、時折魔術師は信じられないような魔術を使ってみせるのだ。
「九十九階」ではエレベータの使われ方が印象的だ。おれはマンション育ちだが、エレベータというのは確かに異界への入り口にふさわしい。「石獅子は覚えている」における使者としての石獅子の描き方が見事だ。「ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた」と「ギター弾きの恋」では若者の恋を鮮やかに切り抜いてみせる。なんなら傷の痛みまでセットにして提供してくれる。「金魚」に登場する金魚の儚くも美しいこと、さらりとした描写ながら憧れや胸の痛みまでかきたてられるほどだ。「唐(とう)さんの仕立屋」で活写される職人の仕事は無造作に見えるほど手際が良く、あつらえたての洋服のたたずまいが目に浮かぶ。それらの輝けるものが、子供の目に映る中華商場の、猥雑な、ネオンばかりがぎらぎらと眩しい、裕福とはいいがたい暮らしの中で、いかに確かな光を発していたかということを著者は描く。
なんというか、その感じがよかった。あんまりハッピーな話はない。なんだったんだろうと思わせられる話と、ちょっと悲しい話が多くを占める。にもかかわらずどこか懐かしさすら覚えるし、この世界に生きてみたかったという願望がわく。それってなかなかすごいことだと思うのだよな。ひさしぶりになにか物語を書いてみたくなった。

収録作品:(出典:https://www.hakusuisha.co.jp/book/b206385.html
歩道橋の魔術師
九十九階
石獅子は覚えている
ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた
ギター弾きの恋
金魚
鳥を飼う
唐(とう)さんの仕立屋
光は流れる水のように
レインツリーの魔術師