黄昏通信社跡地処分推進室

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障害オープン:小倉4R

東スポでは小さい馬柱しか出てなくてぐんにょり。まあ逃げイチになれば、と思ってサンヴァレーを買うが、アズマビヨンドに超びっしり競り込まれて、しかも水濠の飛越を失敗して競走中止。右上腕部骨折で安楽殺となったそうだ。さんざん言ってきたがそれだけ気になる馬ではあった。冥福を祈る。
勝ったのは前走未勝利を凄い上がりタイムで勝ったらしいローレルロイス。今回は上がりは平凡。サンヴァレーとハナを競ったアズマビヨンドも2着に残っていた。前走落馬明けで19ヶ月ぶりの未勝利戦を快勝したシーアンバーは流石に及ばず8着、だったけど今後注目してしまいそうだ。

なんかTさんが「白くま」を喰いたいと言い出してロイヤルホストへ。白くまってのは巨大な練乳かき氷に豆やらみかんやらで顔を作って白くま様にしたもので鹿児島発祥、らしいんだけど、ロイヤルホストにあるのはまあ常識的なサイズの奴。すっげえ、甘い。おいしくはあるんだけど苦手。
帰ってから母に訊いてみたが、存在自体知らないそうだ。まあそうだよな。

幻のロシア絵本1920−1930年代展(東京都庭園美術館)

目黒まで電車で移動。最近暑いので電車乗りまくってる。
ロシヤ・アヴァンギャルドに関しては、以前京橋のフィルムセンターで映画ポスター展を観たことがあるのだけど、なんなのか実は知らない。ただ、そのポスターたちはほんとにはっとするような構図と色使いで、陳腐な表現だけど本当に今見ても新鮮だった。20年代から30年代ってのはちょうどそのポスターたちと同じ時期で、絵本の表現にもそういうはっとするようなものが見られる。
個人的に一番好きだったのは『郵便』。書留が受取人を追って世界中を一巡りする話なんだけど、そんなへんてこなシチュエイションに託して郵便そのものを描いてしまう、というところがとても楽しいし、絵も世界の街並みをそれらしく描いていて素敵だった。
あと装苑にも載ってて話題(らしい)の『おろかな子ねずみ』はカマス連れてきちゃうところが凄くいい。カマスって。
それと、庭園美術館はやっぱり建物が素敵だ。おんなじ展示観るんなら建物が好い方がいいよね。今回は最上部の「ウインター・ガーデン」という部屋が新たに公開されていて、そこに今回展示された絵本のコピー版が置いてあった。
いろいろ気に入ったので図録とTシャツを買う。Tシャツは折からのTシャツ不足ゆえ買った、という面もあるのだが、『おろかな子ねずみ』の一場面でなかなかよろしい。展覧会で図録を買うのは本当に久しぶり。たぶん「プラスチックの時代」展以来だから、3年半ぶりってことになる。(あの図録は本当によくできていた。しまいっぱなしだけど。)
最後にひとつ。「エピローグ」で、スターリン時代以降のレーベジェフの作品に「可愛らしく描こうという萎縮した意図だけがむなしく露呈している」というようなテキストがついていたのだけど、流石に厳しすぎる意見と感じた。作風の差は確かに「目を疑うほど」ではあると思うが、『森は生きている』の表紙など、精緻で美しいとおれは感じた。

みちこ:フロンティアランド

時間がなくばたばたと2ゲーム。
1)学問連想  ノンセズー アニゲー2  7位 (7)
2)アニゲ四択 学問モザ  一般知識2  1位 ICE
1ゲーム目はよく憶えていないが、アニゲー2は早々と○×をひとり落とししたりとかで、全然チャンスがなかったように記憶している。
2ゲーム目は早く召集されたのにICE。これ多分、召集されてから科目発表の間ぐらいに回線落ちしてるんだろうけど、その割にはラグがないことが多くてはっきりしない。ともあれ、心配だったアニゲー四択を通過するとあとはすいすい。決勝で一般並べ替え使ったら「単一欧州議定書」が出て笑った。絶対喧嘩売ってる。
+3で賢者のまま(170→173)。186ゲーム。

アジアカップ観戦

なんかよくわからんけどH家に集まってアジアカップ勝戦を観ることに。H江夫がつまみを用意して待っててくれたのだが、これがどれも旨かった。おかげで珍しくビールが進んだ。最終的にH夫妻、両I、Nくん、Yさん、Tさん、おれ、とやたら集まりもよく、メインのしゃぶしゃぶも好い感じに消化しながら実に楽しく試合を観られた。
試合の方は、……うーん、正直よくわからん。「結構中国上手いじゃん」と感じたりしてたので、読んでいる人はそこから観戦レベルを逆算して下さると幸い。日本の選手はみんな動きが悪かったように見えた。たぶん疲れていたんだろう。
試合が終わってから電車のあるうちに解散。Hさんありがとうございました。

みなみ北海道ステークス

おれが見始めた頃からこのレースはあるのだが、当時の条件は900万下だった。「500万下と900万下は『特別』、1500万下とオープンは『ステークス』」というネーミングのルールは既にあって、そこからするとこのレースは例外だった。例外は2000年まで続いたが、2001年にはいくつか残っていた例外のレースが一掃され、その時にこのレースもついに息の根を止められた。
……と思っていたんだが、昨年、今度はレースがオープンになって復活した。ちょっとぐぐってみたところではかつてはプリテイキヤスト様なんぞも出ていて(10着)、しかも競走成績から見るにどうもオープンだったらしい。格が下がったりなくなったりしながら渋太く続く伝統の長距離戦。しかし復活2年目の今年出走したオープン馬は2頭。早くもアイデンティティが問われる状況ではある。
まあそんなわけでただ2頭のオープン馬の一頭ヒマラヤンブルーから買ってたんだが、気分よくスローペースで逃げてしんがり負け。距離が明らかに長いってのはあるけど、ちょっと負け過ぎだしレースをやめ過ぎてる。これはちょっときついなあ。競走意欲を失いかけてるのかも。