黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2005 (4)

更新1日遅れましたが、最終回。
(1) →名前を残した馬たちへ2005 (1)
(2) →名前を残した馬たちへ2005 (2)
(3) →名前を残した馬たちへ2005 (3)

ホーンFR(父アーテイアス,1983) 死亡
いやあ……知らなかった。アーテイアスの産駒で輸入された種牡馬が居たんですね。種牡馬成績はさっぱりで、代表産駒はホーンイチ(もちろん知らない)。netkeiba のデータベースで見つかる中では 1995 年の産駒が最後。それから事実上引退状態で10年以上過ごしてきたことになる。例外と言っていい事例だとは思うが、捨てたもんじゃないなあというか。関係ないけどこの馬についてぐぐるのは結構めんどくさい。ホーントとかホーンビームとか、色々除外しなきゃならない。
マグニテュードIRE(父 Mill Reef,1975) 死亡
これも大往生系。系ってなんだ。ど良血で期待されたが、6戦未勝利で引退、そのまま日本に輸入されて種牡馬入りした。比較的早い時期にエルプスを出すと、以後も忘れられかけた頃に活躍馬を出して存在感をアピールし続けた。イーグル、シャレー、ズグ、カジュン、といった通常大物を出すとは考えられない種牡馬の娘を相手に一流馬を送り出した、きわめてユニークな種牡馬ミホノブルボンユウセンショウユウトウセイマサラッキでは父系も残せそうにないが、母系に入ってもまた忘れられた頃に一発大物を出して欲しい。お疲れさまでした。
マサムネUSA(父 Nijinsky,1986) 用途変更
草野? とかしか書くことがないぐらいの難易度の高さ。競走馬として輸入され、未勝利のまま種牡馬入り。デザートキングの伯父にあたるらしいので、良血ではあるのだろうが……。流石に甘くないというべきか。持っている血が少々重すぎる嫌いもある。バブルっぽい。それにしてもよくこれまで繋養されていたものだ。
ミシエロUSA(父 Conquistador Cielo,1990) 輸出(アメリカ合州国
サラブレ」の「馬名日本の心」(古今東西の競走馬に勝手に漢字名を考える読者コーナー)でこの馬に「見学希望」ってつけてた奴が居て、すっげえ笑ったのをよく憶えている。未だに父馬の欄などでこの名前を見ると反射的に「見学希望」という四文字が頭に浮かんでしまう。申し訳ないことにかような思い出しかないが、実際日本での供用期間も6シーズンと長くはなかった。しょっぱなからエイシンチャンプを送り出したものの後が続かず。とはいえ需要がありそうなのは喜ばしい。健闘と幸運を祈りたい。
ミラーズボーイ(父ゲイメセン,1989) 用途変更
中央で1戦して未勝利、そのまま引退して種牡馬入り。牝系はいいようだが、流石にちょっと不思議だ。姉のミラーズドウターは名前だけ憶えている。青森で供用されていたらしく、産駒も殆ど居らずとうとう用途変更だが、なんと昨年生まれの仔が2頭居るようだ。なんとか競走馬になって競馬場に立って欲しい。オリオール系の底力を見せてくれ。
メジロブライト(父メジロライアン,1994) 死亡
メジロライアンの初年度産駒で、同期の女傑メジロドーベルと共にターフを沸かせた。三冠はひとつも勝てなかったが、今思うと松永幹夫とはキャラ的に微妙に合ってなかった気がする。古馬になってからは天皇賞を圧勝。G1勝ちはそれだけで、全体で見ても尻つぼみの成績だが、戦績の字面以上の能力を感じさせる馬だった。アンバーシャダイから続く内国産父系の三代目、なんとかつなげて欲しかっただけにこの馬の死は痛い。残された産駒から種牡馬が出せるか。メジロライアンもまだまだ隠居はできなさそうだ。
モーストリヘローUSA(父 Halo,1990) 死亡
競走馬として中央競馬で走り、デビュー勝ちを含む3勝をあげた。確かちょっと評判になっていたのと、名前に微妙にインパクトがあるのでちょっと憶えている。種牡馬としてもぽつぽつ産駒を出していたようだが、流石に全く記憶にない。母方には割と珍しめの種牡馬も見られるが、如何せんヘイロー系ではレアさもなかったか。志半ばにして倒れる。立場としては恵まれた方だったのだろうけど。
ラシアンボンドUSA(父 Danzig,1986) 死亡
アンブラスモア1頭で記憶されるだろう種牡馬。それ以外にはオープン馬を出していない。900万を勝った馬も数えるほどの筈。実際のところアンブラスモアもそこまで強かった馬じゃないわけで、それでも供用され続けていたのは幸運だったと言えるだろう。しかしダンチヒ系は日本に来るとだいたいたるい。世界中そうなんだろうか。
ラジヤマハール(父ターゴワイス,1987) 用途変更
ターゴワイスの仔がまだ種牡馬やってたんだなあ。毎年数頭ずつ産駒も居たようだが、ほとんど全馬生産者が同じで、当然この馬の生産者でもある。競走成績はぐぐって見つけた限りでは7戦6勝。種牡馬としては残念ながら殆ど実績をあげられなかった。力つきるような形で用途変更。執念が実を結ぶとは限らない。けど、産駒一覧にずらりと並ぶその人の名前を見ると、心が動かされるのを感じずにはいられない。
リアルシャダイUSA(父 Roberto,1979) 死亡
そこそこの決め手と我慢強いレースぶりを武器に、ノーザンテーストを王者の座から追い落とした素晴らしい種牡馬。しかし天下はわずか1年で、これからという時に日本の競馬はサンデーサイレンス一色になってしまった。それでもリーディングサイアーで一桁順位を長年守ったのは立派。ファーストシーズン・チャンピオンサイアーだったのは今となっては信じられないけど。後継種牡馬は成功していない。ライスシャワーはかえすがえすも残念だった。4歳時の天皇賞は本当に恐ろしい強さだった。年齢的に仕事は終わったというところ。残された産駒がどこまでやれるか。
リンデンパッション(父サンデーサイレンス,1997) 死亡
リンデンリリーの仔。未出走。血統を買われて種牡馬になったのだろうが、流石に産駒は多くないし成績も全く残せていない。死亡となっているが詳細も不明。なんだか寂しい。
ロイヤルスキーUSA(父 Raja Baba,1974) 死亡
1974 年はサラブレッドの当たり年で、米国で三冠馬 Seattle Slew が生まれたほか、日本では怪物マルゼンスキー、ヨーロッパでは The MinstrelBlushing Groom 、また言わずと知れた Alleged(産地は米国)などもこの年に生まれている。でも、「じゃあその世代の東京優駿馬は?」って質問はしてはいけない。いけないよ。さておき、代表産駒というと当然アグネスフローラワカオライデン辺りになるわけだが、微妙に間に合ってなくてぴんと来ない。いずれも繁殖としての印象が強く、特に後者は環境を考えると信じられないほど成功した種牡馬と言えよう。晩年は下総のボスという感じで、JBBA の下総種馬場で繋養されていたが、最後は那須へ移っていたようだ。29歳まで種付けを行うほど元気だったとのこと。長い間お疲れさまでした。

ということで今年も51頭について書いてみた。この世を去った馬もあり、悠々自適の余生を過ごす馬もあり、新天地で一発逆転を狙う馬もあり。立場はいろいろだけど、きっともうこれほど語るのにちょうどいい機会は来ないだろう。サラブレッドの父として、名前を残した(残せなかった馬も居るようだが……)素晴らしい馬たち。別れの言葉の代わりに、この文章を捧げたい。
もしこれを読んでなにか感じるところがあった人がいらしたら、是非自分でも書いてみてほしい。一頭でもいい。その馬について思うところを書いてほしい。名馬は、語られることで名馬たり得るのだから。あなたの中の物語は、あなたにしか語ることはできないのだから。