黄昏通信社跡地処分推進室

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『PARKLIFE』


scene 1. +0001-02-18


「マインランナー、ESです」
イアホンから聞こえてきた男性の声は、緊急停止を意味する言葉を告げているのに、奇妙なほど落ち着いていた。
僕はそれが耳に入った瞬間から早歩きで階段に向かい始めていた。浅野が一歩遅れてついて来る。
「マイン了解、倉田向かいます」「エントランスも了解です」「倉田さんお願いします、竹内すぐ合流します」
次々に音声が飛び交う中、尻ポケットに入れていたインカムを手に取る。交信が一段落するのを見計らって、PTT を押した。
「メンテナンス了解です」
階段の外側の端を通って早足に下る。幸か不幸か混雑はさほどではなく、足を止めずに下りて行ける。踊り場から遠目にマインランナーの辺りをうかがうが、流石に状況は判らない。残念ながらキューも見えなかった。平日だしこのフロアの様子なら、それほど混んでいる筈はないだろうが。
「おれマインのES初めてですよ」 と浅野。
「そうだっけ?あー、マイン最近あんま止まってなかったからなあ」
「おれら救出とかしなくていいんですよね」「社員も来るし大丈夫だと思うよ」
「五島さん、救出ってしたことあります?」
何故か浅野が真顔で訊いてきた。
「いや、マインではない。――なんで?」 僕は応じて、訊き返す。
「いえ、別に」 自分でも何故訊いたのかわからない、という風に浅野は首を横に振った。
1階に下りて右に折れ、マインランナーの方へ向かう。既に作業灯が点いていた。夢も希望も無い有様だ。
ピットフォールの前で、ちょうど谷川がスタンションポールを並べ直していた。アトラクション制服の姿には随分前から違和感がなくなっている。僕たちが微妙に血相を変えて歩いて来るのを見ると、(どうやら事態は把握していたらしく)小さな声で「がんばれよー」と声をかけてきた。僕は軽く肯いて通り過ぎる。
マインランナーにはやはりそれほど人は並んでおらず、倉田さんが早くもマイクでお客さんに事情を説明し始めていた。この人の対応は安心して見ていられる。僕たちはキューの脇を通り抜け、柱の陰からバックヤードへの扉に入った。バックヤードには誰もいなかった。僕はすぐに扉をノックしてコンソールブースへ上がった。
コンソールにはやや色褪せた群青のつなぎ姿が既にあった。渕上さんだった。
「どうしたんですか?」
僕が訊くと渕上さんは「ほら」とだけ応じた。
異状は一目で判った。第二落下の後、レールが谷状になっているところにトロッコが一台なすすべもなく止まっていた。既に誰も乗っていない。素早く救出が行われたのだろう。
「ブランコですか。こんな時間に」
「ああ。3番なんだけど、左前のタイヤがちょっとやばかったんだ。でもまさか今日明日で止まることはないと思ったからなあ」
渕上さんは意外そうな表情で、しかし口調は申し訳なさそうだった。
「時間が関係あるんですか?」
僕の後ろから顔を覗かせていた浅野が訊く。
「朝のうちはスピードが出にくいからね」 
渕上さんが応じるが、浅野は理解した様子が無い。僕は補足しておくことにする。
「朝はタイヤが温まってないからスピードが出にくくて、特に故障とかがなくても坂を登り切れないことがあるんだ。もちろん、そのために試運転や空回しをするんだけど、それでも止まっちまうことはあって。逆に、今みたいに曲がりなりにもライドがずっと回転してる時に止まるってことは、たぶん、」
「――何かがおかしいってことですね」
浅野は呑み込みが早い。加えて正確だ。早いか遅いかはそれほど問題ではないが、早いに越したことはない。正確か否かはずっと重要だ。このまま成長を続けてくれれば、多分頼れる同僚になるだろう。ただし成長が続くかどうかは僕にはわからない。
「おう、ブランコか」
背後から野太い声がした。いつの間にか浅野の代わりに山部さんがそのでかい顔を突き出していた。「しばらく大人しいと思ったらやってくれたな。しかも人が飯喰ってる時に」
「すまん、左前のタイヤやばいのわかってたんだけど」
渕上さんが言うのに山部さんは大げさに手を振って、「いや、いいんすよ、おれ向きの仕事っすよ久々に」と応じた。
「悪い」
もう一度渕上さんが言う。
フィールドでは救出作業が続いていたが、それも間もなく終わろうとしていた。一足先に戻ってきたスタッフが、コンソールブースにぎゅうぎゅう入っている僕たちを見つけて声をかけてきた。
「すみませんねー」
マインでの救出はそれなりに緊張する作業だと思うのだが、岡島くん――先ほどのインカムの声の主は、日頃と変わらぬのんびりした口調だった。
「いや、こちらこそ迷惑かけてすまん」 渕上さんが応じる。「3番駄目だから、とりあえず引くんで。代わり出そうと思えば出せるけど、どうかな、出した方がいいのかな」
「や、流石に僕じゃ判断できないんですけど、それは。出さなくても全然オッケーですよ!とか言えませんけど。」
「言ってるじゃん」 山部さんが笑う。
出すとすればどのくらいかかります、と、少し離れたところから倉田さんが訊いてきた。
「んー、出せるライドはあるんで、まあ15分ぐらい余分に見てもらえれば」
渕上さんが答えた。「ただ、最初何周かはスタッフ乗せてって感じになりますね。」
倉田さんは時計をちらりと見たが、ほぼ即座に応じた。「平日ですし、5台回しで充分でしょう。引くだけにしてください。」
「了解」
妥当な判断だ。これを迷うようでは運営の社員は務まるまい。とはいえ迷いなく判断を下してもらえるのはこちらも有難い。何にでも黙って従う心算もないが、最後は切り分けだ。そこを越えることはないだろう。
「3番、しばらく止めですか?」 倉田さんが立ち去り際に訊く。
「いや、タイヤ来てるから夜には直せます」
答えながら、渕上さんはまた俯いた。
「了解。よろしくお願いします」
倉田さんはそれ以上は何も言わなかった。
壁側から薄いカーテンがゆっくり繰り出されてきて、プラットフォームの通路側にかかり始めていた。天井から外側の面に照明を当てると、完全には視界を遮れないもののよほど目を凝らさない限り外から内部は見えなくなる。カーテンに遮られ、作業灯に照らされたフィールド内は運営中とは大分違った雰囲気になる。
「さて、やりますか」
山部さんがプラットフォームに下り、僕もそれに続く。
浅野もついて来ながら、
「それで、なにやるんですか、これから」と言った。
山部さんはにやにや笑いながら応じた。
「いや、そりゃあ、止まっちゃったわけだから、さ。」

バックヤードに備え付けてある木の板を、立ち往生したトロッコ後部のくぼみにあてがう。木の板の両端からはそれぞれロープが伸びていて、4メートルほどのところで一本にまとめられている。トロッコが居る谷から少し前方に登った先に山部さんが立ち、ロープを両手で持つ。僕と渕上さんはトロッコ後部の左右に立ち、腰を落としてトロッコに肩をつける。
「いいかー」
山部さんが言う。
「はい」「うーす」 渕上さんと僕が口々に答える。
「せーの、ほいっ!」
ロープが引かれるとトロッコがぐいっと予想以上に大きく前に動き、僕はバランスを崩しそうになった。慌てて出した足がレールの横桁を踏みそこねた。叫び声を上げる暇もなかったが、反射的に足が別の横桁を捉えていた。わずかな間に大量のアドレナリンが出ていたに違いない。心拍数が一気に上がった。
山部さんはしっかりロープを引きながらレールの上を前進するという離れ業を見せ、トロッコは一気に坂を登って行った。僕は一歩一歩足元を見ながら押していったが、先ほどの動揺が治まっておらず、あまり力が入っていなかった。引いているのが山部さんでよかったと心底思った。
ロッコは坂を登り切り、ほぼ平坦になっているところに到達した。
「タイヤ死んでるってほどじゃなかったっすね。ほい、」
山部さんが言って、ロープを投げて寄越す。
「そんなひどかったらもっと早く止まってるって。ていうか換えてるって」
渕上さんはロープを受け取り、トロッコにあてがっていた板を外して、ロープをぐるぐると巻きつけ始めた。僕はその間ずっとトロッコをしっかり掴んでいた。もし滑り出しでもしてしまったら、ひとりでどうにかなるとはとても思えないのだが。
山部さんはさっさとレールの上を先へ進み、坂をとことこ下りて行くと、適当な高さのところで大胆にも床へ跳び下りた。
「おっけー」
「ほい。じゃあ出します」
僕はコンソールブースの浅野に向かって手を挙げた。「マイク入れて」
浅野はちょっと怪訝そうな表情になったが、すぐに理解した。
「「……えー、ライド出ます。退避してください」」
「ライド出しまーす!」 僕は改めて叫んだ。
渕上さんと僕はトロッコの後部に手をかけて、ゆっくりと前方に押し出した。流石に重かったが、ある点を超えると急に速度を増しはじめ、下り坂を転げるように走り始めた。
自分の手でアトラクションのライドを動かすのは、何度やっても不思議な気分だ。ジェットコースターの類は、基本的には巻上げで得た位置エネルギーを運動エネルギーに変換することだけで走っている。人の力だろうと、押せば動くのは当たり前なのだが、自分の力がとても大きくなった気がする。それでいて、手からライドが離れる瞬間には、いつも取り返しがつかないことをしてしまったように思えてならなかった。
ロッコは案外しっかり走り、止まることなく第4ブレーキまで辿り着いた。
今度はブレーキを開けなければならない。
ブランコが発生した時点で走路に出ていたトロッコは3台で、1台目は後半走路で帰還途中、2台目が立ち往生してた奴、3台目は第1巻上げの上に居た。1台目を回収するのは簡単だった。緊急停止を解除して、第5ブレーキを開けるだけ。既にトロッコは問題なくプラットフォームに戻ってきていた。2台目は今第4ブレーキで止まって居るから、これを開けてライドを進めて、その先にあるトラバーサに格納する。もちろん3台目も走路に残っているから、誤ったブレーキ操作を行うと大変だ。
僕はコンソールブースに向かい、浅野をどかしてコンソールに立った。画面を確認すると、走路にある2台とも正しい位置を検知されている。これなら大丈夫。僕はマイクでフィールド内にアナウンスしてから、モニタに一度目をやって、ボタンを押しながらスイッチをひねって第4ブレーキを開いた。
ほぼ平坦なので、今度は引く必要はない。山部さんと渕上さんがライドを転がしていくのをモニタを通して見る。ブレーキは開けっぱなし。ブレーキ区間を通り過ぎたのを確かめてから(といってもモニタで見て「この辺で大体」という程度)、ブレーキを閉める。これで追突事故はあり得ない――ブレーキが機能している限り。
僕はコンソールに残り、浅野をトラバーサに向かわせた。ライドをトラバーサに引く作業は大好きなのだけど、ここは浅野にやらせておかなければなるまい。三人居れば充分だろうし、一応コンソールには人が居なければならないことになっている。
モニタ越しに三人が作業を進めるのをぼうっと眺める。
トラバーサ部分のレールにライドを乗せ、扉を開く。モニタからは扉の側はよく見えない。多分渕上さんがスイッチを操作すると、トラバーサはその名の通り水平に移動し、扉の中に入ってしまう。こうなると全くモニタでは見ることができない。が、するべき作業は難しくない。トラバーサを扉の中のレールと接続するまで移動させ、ライドを転がしてレールに乗せるだけだ。代わりのライドを出すとなれば、反対側のレールに置いてある予備のライドを転がしてトラバーサに乗せ、トラバーサをコースと接続する位置に戻すのだが、今回はそれはしない。3番ライドをしまったら空のままトラバーサを戻せばいいだけなので、それほど時間もかからないだろう。
僕はぼうっとモニタを見た。
コンソールに独り座って、全く変化のないモニタと誰もいないフィールドを監視し続けるのは難しい。それでも最低限の義務は果たしていた心算だったが、プラットフォームにスタッフが来ているのに気付かなかったのだから、果たせていたとは言い難い。
「どうですか、メンテさん」
突然すぐ側から声をかけられて、僕は内心かなり驚いたが表には出さずに済ませた。もちろんというべきか、声の主は谷川だった。
「……もうローテーションか」
「うん。早く復旧してくれないと商売あがったりなんだけど」「そりゃ誠に申し訳ありませんですね」
「で、どうなってるの」
谷川は急に真顔になった。「ブランコだったんでしょ」
「3番ライドなんだけど、左前のタイヤが駄目で。駄目っつっても、押したら4ブレまで走ったから大したことなかったんだけど。」
「え、ライド押したの? いいなー、うらやましい」
冗談めかして言ってはいるが、多分結構本気だろう。先ほどの足を踏み外した感覚が鮮やかによみがえって、僕は複雑な気分にならざるを得なかった。どう応じていいかわからずにいると、モニタの中で動きがあった。トラバーサの入り口ではなく、後半走路付近のフィールドに人影が映っている。作業は終わったらしい。
「おー、出てきた。ライドは引いただけか」
確認するように谷川は言った。「あと回収すれば運行再開かな。空回しする?」
「しない」 僕は反射的に答えてから、「いや、違うな。止まってたから1回だけするか」
渕上さんを先頭に、フィールドからプラットホームにぞろぞろとメンテナンス・チームが戻ってきた。アトラクションが止まった後だったが、表情は一様に暗くない。くよくよしても仕方ない、これでいいのだろう。
「お、すっかりアトラクションスタッフのゆきちゃんじゃないか」
山部さんが谷川を発見し、でかい声で言った。
「いえいえ、心はいつでもメンテナンスですから」
谷川は如才なく笑みを浮かべて応じる。「人が足りなかったらいつでも声かけてください」
「今は結構間に合ってるんだよなあ」
山部さんの率直な物言いに、僕は思わずにやりとしてしまった。
渕上さんがインカムでアトラクション社員を呼び出し、来るのを待つ間に最後に走路に残っていたもう一台のトロッコを回収した。問題なく戻ってきたところで、空回しを始める。全てのライドを1周ずつ、客を乗せずに走らせる。
「山部さん、休憩まだ残ってます?」 僕は訊いた。
「おう。でも、先行っていいぞ。」
「うい。じゃあ力一杯休んできます。もー腹減って」「ご苦労さん」
竹内さんがインカムに応じて上の階から現れ、既にトロッコが走り始めているのを見て足を速めたのが見えた。一応待とうかとも思ったが、まあ社員含めて他に3人居るわけだし大丈夫だろうと判断して――その判断に空腹が影響していなかったとは言い切れないが――歩き出す。
階段の方に歩いて行くと、すれ違いざまに竹内さんが「直った?」と訊いてきた。
直ったか直ってないかで言えば直っていないが、対応としては終わっている。ちょっと迷った末に「運行はできます」と応じたが、竹内さんは足をゆるめなかったので、聞こえたかどうかは判らなかった。
そのままフロアを横切って、階段をゆっくりというよりいささかとぼとぼと上って事務所に向かった。お客さんが6人ほど連れ立って下りてきて、反射的に端にはり付くように避ける。ちょうど踊り場に上がってマインランナーが再び視界に入った時、インカムが入った。
「マインランナー、運行再開します」 谷川の声だった。「分待ちゼロです」
いい声だな、と思った。


※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体等とは関係ありません。