黄昏通信社跡地処分推進室

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なんとなく平日に休暇。で、妻と出かける。泊まり勤務がなくなったので、意識的に休みを取ってお出かけしたい。
今回は上野の森美術館で『ミラクエッシャー展』。エッシャーについてはもちろんいくつも作品の図版は見たことがあるし、なんとなくどんな作品を作っていた人かは知っている。でも、こういう形でまとめて作品を見たことはなかった。さすがに最初からずっとああいうものを描いていたわけではないようで、初期には宗教画なども描いている。初期から晩年まで共通しているのは人間や生物が基本的にかわいいことだ。どこか愛嬌があって、ちょっととぼけてすらいる。これはまとめて見なければわからなかったところだ。
エッシャーが絵の題材にするものについては、形への興味がもっとも先立っていたのではないかと思う。そしてそれを正確に描くことに面白さを見出していた。若き日の作品には風景画も結構あるのだが、俯瞰や鳥瞰で遠景に崖や段差が見える作品がしばしばある。おそらくはそこにある事物というよりも形や見え方に関心があったのだろう。それが発展して、やがて実際の風景ではない光景を描くようになっていくと、より形に対する興味があからさまになる。「星」という作品では角材で形作られた正八面体をふたつ、互いに少しずらして重ね合わせたような物体が中央に描かれているが、ご丁寧にその周りには正六面体ヴァージョンと正四面体ヴァージョンも浮かんでいる。「立方体による空間分割」ではひたすら鉄骨のような立方格子が空間に無限に続いているさまだけが描かれている。そこには形以外何もない。
一方で上でも書いたようにある種のポップセンスというか可愛げも持ち合わせていたところがエッシャーの面白いところで、「三男ヤン・エッシャーの誕生通知カード」にはいかんなくその可愛さが発揮されている。ヤンのまわりに集まっている鳥たちのキュートなことと言ったらない。「レストラン『インシュリンデ』のためのエンブレム」は依頼されてデザインしたものだそうなのだが、「南国酒家」という漢字を組み入れたりしていて楽しいエンブレムになっている。


技法についてはほぼ版画を貫き通したようだ。これもあるいは形を作るのにもっとも適した手法だったからなのかも知れない。木版とリトグラフが大半で、エッチングやメゾティントの作品がわずかにある。後二者はどちらも製作に時間がかかるのと、メゾティントは枚数もあまり刷れないらしい。そのあたりの理由であまり用いなかったのではないか、と説明文には書かれていた。しかしそのメゾティントで製作された「眼」はなかなかに印象に残る作品だ。鏡に映った自分の眼を「できるだけ正確に写し取った」というのだが、なかなかあのようには描けまい。特に睫毛がすごい。
形への興味は反射体に移りこんだ事物にも及んだようで(ある種当然とも言えるが)、この展覧会でも「反射」というカテゴリをわざわざひとつ設けて展示をしていた(そのスペースの奥の壁が鏡張りだったのには笑ってしまった)。ここに来るとエッシャーの技術というかパラノイアぶりが際立ってきて、「三つの球体 Ⅱ」ではガラスのような透過体と鏡面加工された球体と不透明な球体とがテーブルに並んでいる様を描いているだけなのだけど、透過体と反射体にはそれぞれ屈折像と反射像が描かれている。これによって鑑賞者は部屋のおおよその構造を知ることができる。画面に描かれていないものを絵の中のゆがんだ鏡で見るという歪な趣向で、もちろんそこには絵を描く画家自身も映っている。その他にも反射を題材とした作品はエッシャーの技巧と世界のとらえ方を表すのに向いていたようで、水に映る樹の姿の歪みだけで水面のさざ波をあらわした「波紋」や、水面だけを描きながら手前の水中にいる魚、水に浮かぶ落ち葉、奥のほうで映りこむ木々をひとつの平面に収めた「三つの世界」など、面白い作品が多かった。


最後は一番エッシャーらしい「錯視」というカテゴリ。錯視というとおれはまっすぐの線が曲がって見えたりとかそういうのを想像するが、ここではもう少し広くだまし絵的なものや対称性の高い図案などを含んでいる。だまし絵はエッシャーの代名詞みたいになっていて、あまりに有名すぎて全部知ってるよみたいな気持ちになるのだが、しかし現物を見ると感慨はある。特に画面に描かれた二つの手がそれぞれもう一方の手を描いている「描く手」はとにかく描かれている手があほみたいにリアルで、ここまでやっているからこそ立ち上がってくるものは確実にあるなと思った。技法が切り開く地平があるのと同様に技量が切り開く地平というのもあるのだろう。こういうことは実物を見ないとなかなかわからないものではある。一番変な気持になるのは「凹凸」で、ある面が階段に見えたり天井を支えるブラケットに見えたりするのだけど、そのぐるんと裏返る感じが気持ちいい。
対称性の高い図案はエッシャーの得意分野で、特に平面の正則分割(一種類あるいは数種類のタイルで平面を隙間なく埋め尽くす)や、そこから発展した徐々に変形していくタイルをやはり隙間なく敷き詰める図案にはすごく関心があったようだ。「空と水」という作品ではその変形が画面上部から下部に向けて鳥から魚になっていっているのだけど、説明文によると「当時の評論家にも好評」だったのだそうだ。わざわざそんなことを書くということは他の作品は……とか思ってしまうのだがまあ別にそういう他意はないのかな。「昼と夜」は左右対称の構図で、半分が昼、もう半分が夜の田園風景になっている。そこから鳥が飛び立つところなのだけど畑のあぜの格子状のパターンから左向きと右向きの鳥をたがいちがいに並べたパターンに変形していくストーリー性が見事で、白い鳥が夜のほうへ、黒い鳥が昼のほうへ飛んでいく様を描いている。とても人気のある作品だそうだがさもありなん、モチーフと図案とストーリーが一番うまくかみ合っている作品だと感じた。
この手の繰り返し敷き詰めるパターンを作る能力がエッシャーはずば抜けていたと見えて、いろんな図案を作っているんだけど、この手のものは訓練すればある程度作れるようになるものなのか、それとも天性の能力なのかはわからない。でも見ているとなんとなく後者のようには思われた。エッシャーの作り出した正則分割がアカデミックな分野で長年題材にされていたことからしても、並々ならぬ作品群であることはまちがいないのだろう。


一番最後は長さ 4m におよぶ大作「メタモルフォーゼ Ⅱ」。最初は「METAMORPHOSE」と書かれた格子パターンから始まり、それがチェス盤になり、城になり、……と延々と変形していき、最後もう一度「METAMORPHOSE」の格子パターンにもどる、という絵巻物のような作品。奔放かつ意外で見事な変形と、道中つぎつぎに登場するエッシャーが繰り返し描いてきたモチーフ、そして最初と最後が同じパターンになる構成、と実によくできていた。だけどどちらかというとより心に残ったのはその前作にあたる「メタモルフォーゼ」で、これもどんどん変形していくんだけど最後わりと思いもかけない形に着地するんだよね。普通にびっくりしたし面白かった。


というわけでエッシャー、普通におすすめです。今回の展示品の大部分はイスラエル美術館のものらしいんだけど、作品保全を理由になかなか外に作品を出さないんだそうで、日ごろは常設展示すらしていないとのこと。だからそれなり以上にはレアな展示と言っていいと思う。そうはいってもほとんど全部版画だから余所では見られないものでももちろんないんだけど。





ゆっくり見ていたら昼過ぎで、娘が帰ってくる時間ぎりぎりになってしまう。ほんとはお昼ごはんも外で食べるつもりだったけど断念して、急いで帰って近所のすし屋でテイクアウトして家で食べた(おいしかった)。まあ、お昼はまた近いうちに行きましょう。
子供が小学校に上がって、ますますふたりで出かけやすくなったのはうれしいところ。