黄昏通信社跡地処分推進室

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『砂と人類:いかにして砂が文明を変容させたか』 ヴィンス・バイザー著/藤崎百合訳 草思社,2020-03

もう五年以上前になるだろうか、テレビでちょっとだけ見たドキュメンタリーで少し気になるものがあった。ビルを建てるために、世界中でコンクリートの原料として海砂をごっそり採取していて、そろそろ資源が枯渇しそうになっているという内容だった。ほんとかいな、と思いつつ、さもありなんとも思った。その後ちょっとだけ気にしていたのだが、あまりそんなような話は見聞きしなかった。そこへこの本だ。きっと上記の話も出てくるだろうと思い、期待しながら読んだ。
資源としての砂の用途は大きく分けてふたつ。ひとつがガラス、もうひとつがコンクリートだ。ガラスについてはもともと特殊な――ケイ素の含有率が非常に高い砂が原料として必要で、産地はかなり限られるらしいとか、ガラス工場がいかに子供をこきつかってきたかとか、自動化によって劇的に生産性が向上したとかなんて話も出てきて斜め上の方から興味深かったりしたのだが、しかしなんといっても面白いのはコンクリートの話だ。コンクリートには砂が必須である。ガラスほど含有物にうるさいわけではないが、どんな砂でもいいわけではない。例えば砂漠の砂は完全に不適なのだという。陸上で風に晒された砂粒は丸すぎて、骨材としては役に立たないのだそうだ。海の砂は素材としては適しているが、塩分は鉄筋の大敵となるため洗浄は必須となる。
それでもいくらでも砂はあるように思われる。確かにかつてはそうだった。しかし道路とビルの建設の加速はとどまるところを知らない。高速道路 1km で何十トンもの砂が注ぎこまれる。建物もしかり、基礎から躯体からときには外装までコンクリートが使われる。そしてどんどん建つ。途上国でも建設は増える一方で、砂の消費量は右肩上がりだ。それらはすべて基本的に使い捨てられる。再利用が不可能ではないが、多くのコンクリートには鉄筋をはじめいろいろなものが混じっているので、コストがひどくかかってしまいとても割に合わない。(逆に言えば、消費が進んでいるとはいえまだ残ってる新品の砂を掘り出してきた方が安い、ということでもある。)
というわけで砂はあちこちでどんどん掘られて、時に深刻な環境問題を引き起こす。砂の害はまだあまり一般に広く知られていないが、露天掘りに近い形で砂を掘る現場では当然に砂塵が舞い上がり、周囲に継続的なほこりをもたらす。海砂の場合は浚渫が海水を濁らせ、周囲の生態系に悪影響を及ぼす。ある程度の深さまでしか掘れないので、そこが資源の限りとなる。
もうひとつ、砂の面白い使い途がある。砂浜だ。夏の太陽に白く輝く砂浜はみんな大好きだが、あんなものは自然にはほとんどありえないらしい。岩だらけの磯か、普通に黒い土や砂かというのが平均的な海岸で、そもそもビーチってものが遊ぶ場所になったのもほんとうに最近らしく、19 世紀前半ぐらいまでは「病人の療養」がせいぜいだったのだとか。というわけで真白なビーチの 99% は人工のもので、それを維持するためには常に砂を運び込まなければならない。砂浜は基本的には削られていってしまうので、足し続けない限り維持はできないのだ。その浸食の速度もだんだん上がっている。河川にはダムや砂防堰堤が作られて川から供給される砂が減っているし、防潮堤や港湾整備も浸食を加速させることがあるらしい。毎年内陸から何百 km もトラックで砂を運ぶことで、憧れの白い砂浜は維持されているのだ。
まだ大丈夫なのかもしれない。でもそう思っているうちに本当に深刻な事態になってしまう可能性はある。少なくとも少しずつ枯渇に近づいていることだけは知っておいて損がないように思う。