黄昏通信社跡地処分推進室

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スクウェア・エニックスのアレ

長い長い塔の途中には、大小さまざまの部屋があった。殆ど踊り場程度の広さしかないもの、やたらめったら扉がついている部屋、家具どころか塗装ひとつないつるんとした立方体の広間。大抵のところは何の役にも立っておらず、またなんらの害も及ぼさないようだった。時々罠と言えるような仕掛けがあり、まれにありがたいものが手に入ることがあった。徒労に終わることが殆どでも、私たちは部屋を覗くのを止めようとはしなかった。
その部屋はたぶん、直接役に立たず害も及ぼさない部類に数えるべきなのだと思う。だけど奇妙に心に残る部屋であったのは間違いなかった。
いくつか扉と通路を抜けた先にある、あまり人が辿り着かないようなところにその部屋はあった。少し薄暗く、妙に奥行きがあって、突き当たりははっきり見えないほどだった。書棚が通路を形作るように何列にも並び、棚はびっしりと同じ大きさの本で埋め尽くされている。真っ黒い布張りの装丁で、背表紙に金文字が入っていた。黒い壁のように続く棚に、街の灯りのようにちらちらと書名が浮かんでいた。
「なんじゃこりゃ」
先頭に立っているヴァイスが呟いた。
確かに。なんだろう、これは。
「書庫、なんだろうけどな」
同種の部屋を見たことがなかったこともあってか、フォルクも珍しく関心を見せた。
「でも似たような本ばっかりよ」
ティリーは言いながら書棚の間を進んで行く。
書物は全て同じ大きさだったが、厚さだけはみんなばらばらだった。ひどく薄く背表紙の文字がほとんど読めないようなものから、片手で持つのは不可能なほど分厚いものまであった。書名と見えた金文字は、前半はむしろ人名のように見え、後半はなにやら記号と数字の羅列だった。
こんな芸の細かい罠に遭ったことはない。けど、ヴァイスが本の一冊を抜き出すのを確認してから、私も手近な一冊に手をかけた。
表紙にも金文字で背表紙と同じ内容が書かれている。
ページをぱらぱらとめくってみると、記号と数字、断片的な単語が羅列されていた。初めは全く意味がわからなかったが、何ページか目を凝らしているうちにある程度の法則はわかってきた。
どうやら時系列順に並んでいること。おそらく塔における座標らしいものが表されていること。食事、遭遇などの記述が差し挟まれていること。……と、いうことは、これは。
「ログ……か」
フォルクも同じ結論に達したようだった。この塔世界に生きた、誰かのログ。表紙の文字はやはり人名に違いない。そう思って表紙を見返してみると、後半の数字と記号は日時と座標の表記形式と同じだった。私は一番最後の頁を開いてみた。白紙。もう一頁戻ると、見開きの途中で記述は断ち切られたように終わっていた。最後の行に書かれた数字と記号は、まさに表紙のものと一致していた。そして単語がひとつ。「死亡」を意味する言葉。
「表紙に書いてあるのが死亡時刻と場所みたいね」 私は言った。
だが、ほんとうにそんなことがあり得るのだろうか? 機械的な、いや物理的な方法ではまず不可能だろう。となると魔法なのか。もちろん、魔法の使い途はあまたあり、人の知ることができているのはおそらくそのほんのひとかけらの一部分だと言われている。だけど、それでもこれはおよそ可能なこととは思えない。
考えてみると、これが実在の人物のものであるという保証もどこにもない。大がかりで悪趣味な悪戯と考えた方が説明がつく。
……などと思っていると、ティリーが背表紙を確認しながら書棚の間を歩いていくのが目に入った。
「ティアー、ティアノン、だから、そろそろかな……」
「止めろ」
フォルクが突然怒鳴った。
さしものティリーも足を止めて、目を丸くしてフォルクを見た。フォルクの表情は真剣そのもので、本気で止めようとしていることはひと目で知れた。
「止めておけ」
一呼吸置いて冷静な声に戻ってから、もう一度フォルクは言った。手に持っていた本を閉じて棚に返しながら、もう身体は部屋の出口の方に向いている。
「今見てたのはたまたま知ってる奴の名前だった。おれと遭遇した表記もあったから多分本人だろう。最後のページでログは終わってて、つまり死亡の表記がされてた。」
「その日付が今日より後だったのね」
私は言った。
フォルクは肯いた。「出よう。未来を知ったら、それはもう未来じゃなくなっちまう。死ぬまで過去を生き続けるなんて最悪だぜ」
ティリーは一歩書棚から離れたが、視線がどうしても背表紙を探るのを止められないようだった。
「はったりだよ、こんなもん」
ヴァイスはのろのろと本を返しながら呟いたが、まるで自信はなさそうだった。
「でっちあげの未来に怯えながら生きるのはなお悪いだろ」
やっとフォルクはいつものペースを取り戻し始めたようで、にやりと笑って応じた。「…行こうぜ。こんなところに用はない」