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『MONSTER』浦沢直樹,1998-2002 小学館/ビッグコミック

今更ながら読了したので書いておこう。猛烈にねたばれするので「続きを読む」で。なお、一緒に『寄生獣』のねたばれもするのでそれにも注意(えー)
面白かった。何がヨハンというモンスターを生み出してしまったのか、という謎がこの物語の肝なんだけど、その周りに配置される人物とちりばめられた小さな謎たちが絶妙で、それをどんどん繰り出しながら話を進めるので退屈するところが全然ない。しかも展開の速さも驚くほどで、これを月二回刊の雑誌で展開するのは並大抵のことではないだろう。
読んでいてなんとなく『寄生獣』に似てるよなあ、と思っていた。それはまあおれの読書経験が浅いからで、具体例はぱっと挙がらないけど類似の構造を持った作品は他にもいくつもあるだろう。ただ、「人間の形をした恐ろしい敵」「周囲がその存在を認めてくれない」「主人公はその敵を倒すことを目的にしている」「主人公自身も終われる身である」など共通したシチュエイションがいくつかあって、それで重ねて読んでしまったのだと思う。
その上で興味深かったのは、このふたつの物語の結末における主人公の選択が正反対であったことだ。
寄生獣』のラスト前では、主人公・新一は後藤が倒れて動けなくなっているところで、ミギーに蘇生の可能性を問うている。五分五分だろう、という回答を得て、「まあ奴も奴なりに必死に生きてるんだし」と一旦は新一は立ち去りかけて、でも、自分たちも含めて生き物ってのは自分のために必死に生きてるんだってことに改めて思い至った新一は、踵を返して後藤の生命を絶つ。あの鉈を振り上げるシーンには本当にしびれた。
『MONSTER』では結局テンマはヨハンを殺せない。一度最大の好機を逸して、次は殺すと誓った筈なのにやはり殺せない。そして最終的には再びヨハンの命を救ってしまう。
もちろん、『寄生獣』と同列には語れない。なんと言っても後藤が脳まで寄生生物であるのに対し、ヨハンは純粋な人間なのだから。そして、物語中では人間の生命はすべて平等であり、死にたがっている人間なんて居ない、という言葉も登場している。だから、どこまで追い詰めても、テンマが殺すという選択をとれないのは物語の流れとして正しいと思う。
というわけなので、これでヨハンが改心してめでたしめでたしとかなってたらほんとにどうしてくれようか、と思っていたのだが、最後はやはりヨハンが再び立ち上がって終わるというラストになっていて、これにはかなり納得した。「殺さないのは正しい」のだけど、「殺さない限りまた立ち上がってしまう」のだということ。正しい道を選べばついてくるリスクも必ずあるのだということ。
勝手に重ね合わせて読んだだけだけど、alternative なラストみたいに感じられて面白かった。