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『生まれ変わり』 ケン・リュウ著/古沢嘉通,幹遙子,大谷真弓訳 早川書房:新☆ハヤカワ・SF・シリーズ,2019-02

ISBN:9784153350434
『紙の動物園』(→おれの感想)『母の記憶に』(→おれの感想)で日本の読者にもすっかりおなじみケン・リュウの第三短編集。なにしろここまでの二冊が素晴らしかったので今回もどれぐらいやってくれるかと期待が高まりまくった状態で読んだが、なんというかケン・リュウも人の子だな……という感じだった。悪くはないんだけど、正直前二作レベルのものをやっぱり求めてしまうし、それには応えられていないというところ。だからどっちかといえばおれが悪いのだが。

表題作「生まれ変わり」は異種族もの。ある時期に地球にやってきたトウニン人たちは特殊な力を持っていて、接触することで相手の考えていることや記憶にアクセスすることができる。さらに自らや他者の記憶を消去できる能力を持っていて、それによって記憶を消去して新たに人生をやり直すことが作中の世界では「生まれ変わり」と表現されている。トウニン人の価値観においては記憶を消去された者は別の人だということになるからだ。そして犯罪者に対しては措置としてその「生まれ変わり」が行われている。主人公はトウニン人をパートナーとしているが、これはまだ作中世界でもあまり一般的ではないらしい。不満なく日々を送る主人公だったが、ふとあるところで見かけた人名をきっかけに自分の記憶に疑念を抱き始める。その人名は過去の自分が仕込んだキーワードで、そのキーワードを頼りに調べるうちに主人公は封印された過去に気づく。けっこう破天荒な設定なのだが、そのゆえに思考実験としては強烈なものになっている。この描き方であれば主人公に感情移入する読者の方が多かろう。それを作者のメッセージだと考えるのは早計かも知れないが、ともあれなんとも後味の悪い読後感の残る、しかし面白い一篇だった。
介護士」はロボットによる介護が一般的になっている世界の物語で、いわゆる南北問題というのはこういう形で続いてくのかも知れないと思わせる。切れ味のよい想像力が作者らしい。
ある種の異文化コミュニケーションを描いた掌編「悪疫」は、最初のパートで意味がわからなかったところが視点が入れ替わった瞬間にぱっと理解できて、短さもあわせてその印象が鮮やかなワンアイデア SF。
「揺り籠からの特報:隠遁者──マサチューセッツ海での四十八時間」は遠未来の海面上昇後の地球を舞台としている。東南アジアの辺りでは船をつなげて共同体を作ってそこで人々が暮らしている、という設定は上田早夕里の〈オーシャンクロニクル〉シリーズを想起させるものがあった(定期的に病原体が蔓延して人死にが出る、という設定はバチガルピみがある)。描かれる風景と登場人物の諦念はなかなか好ましい印象。
「神々は鎖に繋がれてはいない」「神々は殺されはしない」「神々は犬死にはしない」は三部作で、人間の精神のデジタル化と AI の進化をからめた作品。技術的な過渡期を描いていて、まだ起こりうる未来という感じには少し遠いけれど、それでも遙か彼方というほどでもない地続きにある物語という印象で悪くない。ただこれの前日譚のような位置づけにある「カルタゴの薔薇」の方がより直接的に過渡期を描いていて、主人公の妹のキャラクターも含めて印象に残った。
個人的な一押しは「隠娘(いんじょう)」。これは中国の古典に元ねたがあるらしいのだけど、主人公の女の子がある日仙人にさらわれて暗殺術を身につけて帰ってくる話。主人公は長年の修行で身につけた術をもってある人物を暗殺することになるのだが、そこでふと自分の使命に疑問を抱く。戦闘シーンで四次元空間が普通に出てきて、それがらみのトリックも楽しい一篇。その四次元以外は SF 要素ないんだけど、ケン・リュウの持ち味がよく出ていると思う。
トリを飾るのが「ビザンチン・エンパシー」。一時期ルームシェアをしていたふたりの女性が、のちにほとんど正反対の立場から紛争地帯の途上国支援に関わるようになり、おたがいの正義がコンフリクトし合うようになる。ブロックチェーンを用いた投票による寄附集めシステムというアイデアが利いていて、理性対同情、デスク対現場、という古典的な対立にひとひねりを添えている。

というわけで、また単行本が出たらきっと読むだろうけど、少し優先度は下がってしまうかなとも思う。いくつかはとても面白かった。
その他収録作品:「ホモ・フローレシエンシス」「ランニング・シューズ」「化学調味料ゴーレム」「訪問者」「生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話」「ペレの住民」「七度の誕生日」「数えられるもの」「闇に響くこだま」「ゴースト・デイズ」