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医療崩壊に関するメモ

都内、というか 23 区内、それも公立の病院でも産科をたたむところが出てきたと朝のニュースで報じられていた。それを止める法律や制度はなく、たたむところが増えれば残されたところにかかる負担はますます大きくなる。もう悪循環がとどめようのないところまで回り始めているのは(こんなニュースになるぐらいだから)おそらく明らかで、産科だけの話とも考えづらいから、これからは医療を受ける側としてある種の覚悟が必要になるだろう。
医者は高給取りの代名詞だけど、高度な技能と判断力が要求され、他人の生き死にに関わるプレッシャーを常に受け、おまけに肉体的にも重労働というなんだかよくわからないほど大変な商売であるのも確かだ。世間の人はそこをあまり正当に評価してこなかった嫌いはあるだろうし、医者は医者で長い間患者を侮って一方的な医療を続けてきた。そうして培われてきた「医療不信」という名の深い溝が、色々な形で顕在化してきているのだと思う。
医療裁判というものに対して、どんなイメージがあるだろうか。手術の結果に納得の行かない遺族が起こすけど、守秘義務やら専門性やらに守られて結局真実は明らかにならないまま終わる、不毛な審理? それとも、よかれと思って五分五分以下の状況でも全力を尽くして治療したのに、確実でない医療行為を行ったという理由で医療者側が損害賠償を支払う羽目になる理不尽な決定? どちらも抱きうるイメージだろう。その両極端さが、医療不信を端的に表している。そして、その両方が真実だ。
救急車でさんざんたらい回しにされた患者が結局亡くなるというニュースを聞く。受け入れを拒否した病院が槍玉に挙げられる。確かにそんなことは本当にあってはならないことだ。でもその陰に隠れている事実は知っておかなくちゃならない。そもそも、そのたらい回しにされた地域には救急医療体制がない病院が何軒あるだろう。微妙な状況だと知って受け入れて、結果的に患者を救えなかったとき、誰の責任が問われるのだろう。
医療は変わりつつあった。インフォームド・コンセントという言葉が一般的になり、大病院への患者の集中を緩和するような保険点数の改正がなされた。一方的な治療も減ってきていたことだろう。敢えて言えば「ずいぶんましになってきた」タイミングで、長年の反動で真逆の方へ振れてしまったのは惜しい。
いずれにしても誰の所為と言えるような話ではなく、それだけに尚更回復にも手間取ることだろう。あんまりひどい方向に向かわなければいいなあと願うばかり。

とっ散らかってるなあ。