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『時空ドーナツ』 ルーディ・ラッカー/大森望訳 ハヤカワ文庫 SF,1998 ISBN:9784150112493

ラッカー十番勝負その1。
イーガンの長編を4冊読み倒し、短編集2冊もさっさと片付け、『ひとりっ子』は買っておけという天の声を無視し、辿り着いたのがラッカー。なんとなくそろそろラッカー読んでおきたい感じなので、折角だから出版された時系列順に読んでみようという。
『時空ドーナツ』はラッカーの記念すべき初長編なのだが、掲載誌は全3部中2部まで載せたところで休刊、後年どうにかペーパーバックで出版されるも速攻で絶版(もっともラッカーの SF は本国では大体すぐ絶版になっていたようだ)、という不遇の作品。日本語版は 90 年代後半、まだ早川書房に余力があってラッカーがそこそこ日本では人気だった、という条件が揃ったために出版された逆に幸運な一冊で、あのタイミングでなければ出ていなかっただろう。訳者によると底本としたペーパーバックもぼろぼろだったそうで、本当によく訳してくれたと言うほかない。
この作品は作者の得意な半自伝、本人の所謂 transreal 作品群に属していて、おそらくは学生時代がベースになっている。のだけど、作中の舞台はパラレルワールドっぽい近未来で、コンピュータが完全に管理する満ち足りた社会で人間たちはひたすら暇をつぶして生きている、という設定になっている。ラッカーの実感としてはそんな時代だったんだろうか。
支配するコンピュータに人間の脳を接続することでパフォーマンスが向上する、というアイデアは『ソフトウェア』に登場する「ひとつ」への接続と相通じるところがあり、この他にも支配階級であるコンピュータとの闘争など、後年の『ソフトウェア』の萌芽が散見される。もっともラッカーって長編だといつもそんな感じではあるのだけど。
SF 的最大のねたはまったく突拍子もない発想で、壮大過ぎてアイデアの全体が作品に埋め込み切れていない感じなのだけど、ラッカーは一切お構い無しに突き進む。それでも道中の描写ははったりが利いていて面白いし、二度目の旅の最後なんて本当にばかばかしくて苦笑死にしそうになる。処女長編とはいえ既にラッカーの本領は十二分に発揮されている。
最後はラッカーの初期作品らしく断ち切られるような終わり方なのだけど、この作品は特にひどくて、ちょっと唖然としてしまう。でもまあ、こんなバカ話、どう終わったって「ひでえな」以外の感想は持ちようがないんだから、これでいいのかも知れない。