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『ロシア宇宙開発史−気球からヴォストークまで−』 冨田信之著 東京大学出版会,2012-08

 

ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで

ロシア宇宙開発史: 気球からヴォストークまで

読んで字の如く、ロシヤの宇宙開発史を時系列でまとめた本。サブタイトルにある通り、18世紀末から 1970 年ぐらいまでを視野に収めているが、特にやはりロケット開発に主眼が置かれている。しかし完全に個人的な問題なのだが、西側の宇宙開発史もろくに知らないのにこの本を読み始めてしまったので、その辺りの対照すべき歴史が頭に入ってなかったのは勿体なかった。
ロケット技術の段階的な進歩と、両世界大戦における軍事的な需要と応用、それぞれの時代における首脳との関わり、などが主に開発者を軸に語られていく。ちょっと開発者列伝みたいな風味もあるかな。


序盤で出てくる知ってる名前といえば『宇宙兄弟』でもおなじみツィオルコフスキーだが、特に何を作った人というわけではなく、ロケットによる飛行の可能性を検討した論文をいくつか書いた人、であったらしい。正規の高等教育は受けておらず、おなじみツィオルコフスキーの公式も初出ではちょっと雑な導き方をしていたりしたようで、アカデミーからはほぼ黙殺されていたのだそうだ。他に3人ほど、実際の飛行に移る前の理論家たちがロシヤでは宇宙開発のパイオニアとしてレジェンド化されているらしいのだがちょっと不思議な感じはした。


読んでてやばかったのはいわゆる大テロル(大粛清)で、教科書上の出来事として辛うじて名前は知ってるぐらいのイヴェントだったが、それがロケット開発者にすら多大な影響を与えていたという話が出ていて背筋が凍った。特にコロリョフは密告でシベリヤ送りにされて壊血病になりこのまま冬を迎えたら死ぬという状況で辛うじて減刑されてモスクワ(のほう)に戻れたらしい。歯が二十本近く抜け落ちたそうで、壮絶という他ないが、それでもその後 30 年近く生きてロシヤの宇宙開発をリードし続けた。モスクワに戻った当初は正式には免罪になっていないので研究所の中に牢屋を作ってその中で開発をさせていたなんて話も出ていた。まあめちゃくちゃなことをやっていたものである。


それと、ドイツのいわゆる V-2 ロケットとの関わりも興味深かった。こちらも捕虜を使って劣悪な環境で大量生産していたというその意味で非人道的な兵器だったらしい*1のだが、ロシヤは第二次大戦末期のごたごたに紛れてその技術を徹底的に吸収し自分たちのものにしてしまう。このことの正当性についてロシヤ側が言及するときは「我々は多くの血を流した」という言い回しをよく使う*2のだそうで、そりゃそうかも知れないけどそれが正当かどうかはまた別だよね……と思わなくもないが、フォン・ブラウンのアイデアがこのような形でソ連につながり、一方で本人はアメリカに渡ってロケットを作り続けたという因果はなかなかに凄い。


馴染みのない人名や組織名が多く、技術的には正直よくわからんところもあって、すいすい読み進めるような本ではなかったが、ロシヤに限らず宇宙開発につきものの熱気のようなものはやはり伝わってきて、前進を肯定したくなる感じがあった。また、これは著者が個人的な印象として書いていたことだが、ロシヤの宇宙開発の特徴のひとつとして西側や米国、日本の宇宙開発につきものの「宇宙開発の意義」みたいなものが語られることがほとんどない、というのがあるそうだ。意義を強調するというのはつまり正当性の説明であって、逆に言えば一般的には正当さに対する懐疑があるということになる。それがロシヤの場合ほとんどなく、人類が宇宙に進むのは当たり前だと見なされているような感じがあるのだそうだ。そして著者はそれはロシヤに根付いているコスミズムという思想/概念によるところがあるのではないかという。
本当かどうかわからないが、本当だとすれば中々に不思議な国ではあると思うし、なんとなくロシヤらしいという気もしないでもない。





余談ながら、もうひとつだけ印象に残った記述を引用しておく。1960 年 10 月に起きたバイコヌール宇宙基地での爆発事故(いわゆるニェジェーリンの惨劇)についての巻末註。

(49) 政府の公式報告書によると五七名の軍人と一七名の民間人合わせて七四名が亡くなったとなっているが、バイコヌールの墓地には八四名の犠牲者が埋葬されていて、民間人の死者たちは飛行機で所属の企業に送り返されているから墓地は軍人だけのはずで、五七名と八四名の差がわからないとチェルトクは述べている。なお、この死者数の中には病院で死亡した人たちは入っていないとのことである。一方、ゴロヴァノフは、犠牲者は軍人七六名、民間人五〇名合わせて一二六名と言っている。ソ連・ロシアでは数に対してはおおらかで、細かな詮索はしなかったものと見える。
おおらかとは……。

*1:一説にはこれに攻撃されて死んだ人よりこれを作っていて死んだ人の方が多いとか

*2:作ってる人はフランスとソ連の捕虜が多かったらしい