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『シルトの梯子』 グレッグ・イーガン著/山岸真訳 早川書房:ハヤカワ文庫 SF,2017

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

シルトの梯子 (ハヤカワ文庫SF)

グレッグ・イーガン、2002 年の作品。ここまで訳されなかったのはどういう事情があったのかわからないが、十五年も前の作品が訳されるなんてイーガンすげえ、と思うべきかイーガンなのに十五年も訳されてなかったなんてこの作品やばいのでは、と思うべきか(余計なお世話)。発表順は既訳の作品でいうと『ディアスポラ』よりあと、『白熱光』より前、ということになる*1。ものすごく大雑把にくくるなら、『宇宙消失』から『万物理論』までは現実世界の近未来がベースで『ゼンデギ』もこの範疇に入る。『ディアスポラ』は遠未来の話。『白熱光』はぎりぎり現実世界がベースだが特殊環境の話なので半ば別世界みたいになっている。直行世界三部作は別の物理法則が支配している別の宇宙の話。という感じで発表年代が下るにつれて現実世界から離れている傾向にあるのだが、本作もおおむねその傾向からは外れておらず、『ディアスポラ』と『白熱光』のあいだぐらいと思っておいていいと思う。
冒頭にいきなり量子グラフ理論なる概念が出てきて面食らうが、これは本書のアイデアを成立させるために欠くべからざる部分なので完璧にではなくてもある程度理解しておく必要がある。とはいえ、本当に最低限のレベルということなら「これが我々の宇宙を(素粒子以下の)メタレベルで記述する理論である」という風に認識しておけばよい。作中では量子力学一般相対性理論を統合して矛盾なく説明できる理論である、とも説明されている。ただしこの理論は厳密に立証されたわけではない、とされていることには留意したい。
第一部は主人公キャスがある実験に挑むところから始まる。今の宇宙とちょっとだけ違う宇宙を作ったとしたら、理論上は極小の時間で崩壊する。キャスはそれを確かめるために実験施設「ミモサ」へ向かう。慎重な議論と検証の末、実験の安全性は確かめられたはずだったが、実際に作り出した宇宙は全く違う挙動を見せ始める。第一部はページ数も少なく、むしろ本編への序章という位置づけだ。
第二部では第一部の数百年後が描かれる。新たな宇宙の脅威は広がり続けているのだが、それに対して人々がとる態度はさまざまだ。そもそも向こう側に何があるかわかっていない。脅威を排除すべきか、あるいは共存をはかるべきか。向こう側へのアプローチはどうするべきか。イーガンは登場人物たちに議論させ、投票させる。こういうところが妙に生真面目というか人間の理性を信じているというか、イーガンのある一面がよく表れていると思う。もちろん、そうでない人間もいるというところもしっかり描くのもまたイーガン的ではあるのだけど……。あと、この辺ののりは順序が前後するけど直交三部作にはものすごくしょっちゅう出てきた。
ここからはネタバレ。
主人公たちは結局「向こう側」に乗り込んでいくのだけど、その向こうの世界をかなり尺を取って描いているのがイーガンらしいなあと思える一方、やはり言葉で表現できることには限界があるのだなあという感じもある。本当にまったく違う世界だったらたぶんほとんど描写のしようもなくなってしまうのだよね。その意味でチャレンジングではあるけどある程度以上のインパクトを与えてくれたとはいいがたいという印象だった。他方、アイデアとして「我々が思っている何もない状態、つまり真空の空間というものが、実はゼロでもなんでもなくて、そのひとつ上の記述レベルからするとまったく特別なひとつの状態に過ぎない」というのはまあなんともすげーなという発想で、量子グラフ理論という架空の理論と、その下で存在できる「もうひとつの宇宙」をとにかく曲がりなりにも描いてみせたということについては流石のひとことだった。
ここでの「あり得るかもしれないもうひとつの宇宙」をもう少し具体的に設定して、その中の住人が世界の在り方を発見していく、という過程を徹底的に科学的に描いたのがまさに直交宇宙三部作であって、その意味では本作はそこに至るための布石のような作品といえる。物語としてはやや地味で、初期作品に比べると登場する事物もかなり観念的になってしまって、あまり読みやすい作品とも言えない。十五年訳されてこなかったのは、やはりまあそうだろうねえ、ということだ。
最後に、タイトルになっている「シルトの梯子」だが、珍しく作中にがっつり説明がある。そのシーンはすごくいいので、もし意味を知らなかった人はあえて調べずに読んだ方がぐっと来るのではないかと思う。おれは意味を知らなかったが、そのシーンでの説明を見てけっこう切ない気持ちになった。イーガンが数学的な概念をこんなにセンチメンタルに振り回してくるとは思わなかったのだ。
面白かったけど、イーガンのほかの作品より先にこれを読めと人にすすめる気にはならない。全部読んでからでじゅうぶんだ。

*1:ディアスポラ』と本作の間に Teranesia という未訳の作品が入る