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『Uberland ウーバーランド ―アルゴリズムはいかに働き方を変えているか―』 アレックス・ローゼンブラット著/飯嶋貴子訳 青土社,2019-07

これは面白かった。米国を中心に、ウーバーのドライバーとして働く人 100 人以上にインタビューして、その働き方の実態に迫った本。ウーバーは利用者にとっては利便性が高く、価格もリーズナブルで快適だが、ドライバーにとってはどうだろうか。著者はさまざまな都市に赴き、実際にその都市でウーバーを利用したうえでドライバーにインタビューする。ネット上のウーバードライバーのコミュニケイションサイト(山のようにあるらしい)をあちこち覗いて、ドライバーたちの本音に近い情報を集める。時にはウーバー社に直接話を聞く。地道なフィールドワークから浮かび上がるウーバードライバーの働きぶりはどの都市へ行っても驚くほど似通っている。最初はやる気に満ちて仕事を始める。特にその都市にウーバーが参入したての頃はかなりいいレートが払われる。ところがだんだんレートは下がっていき、生活は苦しくなっていく。朝晩のハイタイムは需要も多くそれなりの料金になるが、それに合わせた働き方をするとなると家族と過ごす時間はどんどん削られていく。
また、日本でもウーバーイーツで広く知られるようになったが、ウーバーはドライバーを雇用しない。配車ソフトのエンドユーザーとして、個人事業者であるドライバーを認識しているというのが建前だ。「自分自身が自分の上司になれる」というのがウーバーのドライバー募集の決まり文句らしい。しかし実際にはウーバーはレートやペナルティでドライバーの動きをコントロールできる。それに逆らって働くのは、少なくともウーバーのドライバーとして生計を立てようとするなら不可能に近い。それでもウーバーはあくまで自分たちは配車ソフトウェア/プラットフォームの提供者であるという立場を決して崩そうとしない(あたりまえだが)。
そして、ドライバーも一枚岩ではないところにさらに深刻な問題がある。そもそもそれぞれが個人事業者である、というのもさることながら、余暇で小遣い稼ぎをする、パートタイムの収入を得る、というレベルのドライバーも少なくないからだ。彼らにしてみればそこまで高いレートは必要ないし、ハイタイムにこだわらずともぼちぼち稼げればそれで充分だ。つまりフルタイムのドライバーにとっては彼らはけっこう厄介な商売敵ということになり、たとえばドライバーたちが団結してレート引き上げを要求するようなことは難しくなっている。そのような分断が構造上最初から存在しているのだ。
著者はあくまで礼儀正しく、決してウーバーを悪とは断じずに、淡々と大量の事例を提示しながらウーバーがどういう会社かを描き出す。その手つきはほとんど執拗と言えるほどで、それでも面と向かって批判しないのはやっぱり訴訟リスクとかあるのかなと考えてしまうが、ともあれ中々すごい本だと思う。海外でウーバー使ったりするとこりゃいいねえと単純に思いがちだけど、たぶんちょっと待ったほうがいいとこの本を読むと思わずにはいられない。ギグエコノミーそのものには可能性を感じるのだけど、それに最適化した仕組みを作ってしまうということは既存の労働の仕組みをぶっ壊してしまうことでもある。この流れに乗り遅れるような国は沈んでいくのかもしれないが、それでも本当にこれでいいのか、おれにはどうにもわからなくなってきた。