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『もうダメかも――死ぬ確率の統計学』 マイケル・ブラストランド,デイヴィッド・シュピーゲルハルター著/松井信彦訳 みすず書房,2020-04-13

日本語版のタイトルがよくない。「死ぬ確率の統計学」はいいのだが、それにかぶせるキャッチーな文句として「もうダメかも」はないだろう。本書は徹頭徹尾確率と統計の話で、日常に潜むさまざまなリスクを徹底的に定量化していく、それこそが面白みなのに、またずいぶんぼんやりしたタイトルをつけてしまってもったいない限り。もっとも原題も『THE NORM CHRONICLES』とたいがいぼんやりしてるので、まあいいのかもしれないが。

わたしたちは明日死ぬかもしれない。持病など既知のリスクが一切ない人が、突然、おそらくは不慮の事故で死ぬ可能性はどれぐらいあるだろう。もちろん年齢や性別などで変わってくるが、それでも一年間に外的要因で死んだ人が全人口のうち何人居たかということは、統計でざっくり出すことはできる。それを 365 で割れば、あなたが明日不慮の事故で死ぬ可能性がわかる。本書で参照している英国での統計によると、ざっと 100 万分の 1 。これを本書では「マイクロモート」と呼んでいる。さて、じゃあ、なにをするとこれがどれぐらい増えるんだろうか。たとえば自動車での移動は。電車だったらどうか? 飛行機は? パラグライダーの飛行一回ではどのぐらいになる? 利用者の延べ人数と死亡数がわかれば概数は出せる。
数字が出ているだけならふうんというところだが、数字が見えるとわれわれの持つバイアスも見えてくるのが面白いところ。例えば自動車での移動のリスクは低く見積もられる傾向が強く、逆に飛行機や電車のリスクは高く見積もられる。よく言われることだが、飛行機は極めて安全な乗り物である――ただし自家用機を除けば。電車も非常に安全なのだが、顧客からの安全性の要求は絶えないという。これはまさに車に乗るとき「自分がハンドルを握っているから」に他ならない。大多数のドライバーが自分は平均的なドライバーより腕前が上だと思っているという、笑い話のような統計もある。さらに本書で紹介されていたバイアスは、例えば自動車間距離制御システムのようなより安全になるシステムが導入されると、運転者はあたかもそれを打ち消したいかのように運転が荒くなる、という傾向がみられるというものだ。人間というのはどうしようもない生き物だなと思う。

後半では余命について語られる。平均的な人は、まあ、だいたい 80 年ぐらい生きる。つぎにここ十年間煙草を一日に二十本吸ってきた人の平均余命を調べて、差分をとる。そしてその差分を(十年×二十本)で割ると、一本吸うと何分寿命が縮まるかを算出することができる。成人してからの余命を 100 万等分すると、およそ 30 分になる(これはいささか恣意的な定義だが、それでも悪くはない)。これを本書では「マイクロライフ」と呼んでいる。本書によれば煙草二本で1マイクロライフが失われる計算だという。ひと箱吸えば五時間だ。二十四時間につき二十九時間余命を消費していることになる。もちろんそれをどう思われるかは自由だが、いささか勿体ない話ではあると思う。
寿命を延ばすこともできる。例えば、ある程度以上の強度の運動は利得の方が大きい。一日三十分程度運動すると余命は一時間延びる。しかしそれを超えて運動しても、費やす時間と伸びる余命がだいたい同じになるらしい。一日に一時間半運動しても伸びる余命は二時間ということだ。それでも運動する価値はあると考える人はいるかもしれないが、おれはプラマイゼロならやらなくていいかなと思っちゃうな。
マイクロモートとマイクロライフの違いは、前者はあくまで確率なので、死なずに済めばそれ以降の人生には影響しないけど、マイクロライフは統計的余命なので、煙草を二本吸えば二本分寿命は縮んでいるということ。とはいえ、煙草の害はあくまでも吸った数に相関があるので、今からでも禁煙すればそれ以上の害は積み上がらない。禁煙に遅すぎるということはないのだ。まあ、COPD になってからではさすがに手遅れといわざるを得ないけれど。

というわけで、身近なリスクをふた通りの観点で数値化していく手法と、それを捉えやすい単位「マイクロモート」「マイクロライフ」に変換するというアイデアが秀逸で、とても楽しく読むことができた。一方で、全編を通じて登場する架空の人物ノーム、ケヴィン、プルーデンスは著者の意図したほどの効果を上げているとは言いづらい気がする。まあ、プルーデンスにはだいぶいらだたせられたので、そこは意図通りだったのかもしれないけれど。