HIKAKIN の由来って非課金らしいよ、っていうデマをばらまこうと思って調べてみたらまじでそれが由来だったわ
という一文を見せられると、単に「HIKAKIN の由来って非課金らしいよ」と言われるよりも少し信じやすくなるような気がする。いやおれだけかもしれんのだが、ちゃんと調べたというところにもっともらしさを感じるのだろう。とはいえ、「調べたんだけど、HIKAKIN の由来って非課金らしいよ」では特に説得力が上がっておらんよな。これが「Wikipedia で見たんだけど、HIKAKIN の由来って非課金らしいよ」となると何故か少し信憑性が上がる。「雑誌のインタビューみたいなので見たんだけど、HIKAKIN の由来って非課金らしいよ」まで行くとこれはもう事実だろうという感じになってくる。いやいや、全部そいつが言ってるだけだから。なにももっともらしさを担保するものはないから、と一秒でも考えればわかるのだがたぶん人間ってのはその一秒をめんどくさがる生き物なのだよな。だめだなー人間。
最初のに戻ると、話者がデマをばらまこうとしている、というところがポイントで、これは「わざわざ話者にとって不利な情報をあえて開示している」という状態になるから、あれ、じゃあほんとのこと言ってるのかな、みたいな雰囲気になってしまう。ばかだねー。そもそもこいつが本当にデマをばらまこうとしているかすらわからないというのにさ。人間情報のかけらを与えられるとどんどん妄想をふくらませるというのはこういうことなのだろうな。そこをハックする手段を脚本家と詐欺師は延々と発展させてきたのだろう。
ちなみに HIKAKIN の由来は非課金ではないらしいよ。雑誌のインタビューみたいなので見たんだけどさ。