黄昏通信社跡地処分推進室

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「名前を残した馬たちへ」(3)

1回目。→「名前を残した馬たちへ」(1)
2回目。→「名前を残した馬たちへ」(2)

ターナボス(父 Blakeney) 死亡
ターナボスとテリオス(父 Mill Reef)が兄弟なのは有名な話で、どっちが種牡馬として上だったかは今でも競馬ファンの間で語り草になるんだけど(うそ*1)、それにしてもこの馬は Blakeney × Derring-Do ×ガーサント。誰が何を考えて輸入したんでしょうなあ。なんかこういう種牡馬が居ると和むけどね。代表産駒はおれの中ではテイクアクションだけど、世間一般にはリュウフロリストだろう。享年二十六なので、大往生と言っても過言ではあるまい。
デュークグランプリ(父スズカコバン) 用途変更
強い馬だった。タフに息長く使われていた印象があるけど、実際は後半はかなり休み休みで、それでいてほとんど連対している。おそるべし。能力はともかく、適性的に日本で父系を残すにはちょっと辛いかなってところはあるんだけど、スズカコバンはほんとにいい種牡馬だったので、できればつながって欲しくはあった。マルゼンスキーも、結局は父系を残せないのかな。ところでこの馬、スワンズウッドグローヴ系なのね(まじで知りませんでした)。あと、ワイエムタイホウ(父ラプシイ)の下らしい。ワイエムタイホウ、弟が凄く好きだったんだよな。なんでかさっぱりわからんが。
ナリタタイシン(父リヴリア) 用途変更
うう……リヴリア……。リヴリアの仔はよく走った。「早死にした種牡馬の仔は走る」という俗説の典型例だったもんです(まあ早死にした上に産駒も走らない種牡馬もたくさん居るが)。代表産駒はこの馬だろう。小さな身体にぴりぴりした気性、鋭い末脚。見ていてわくわくするレースをいつもしてくれた。GI勝ちは皐月賞だけど、おれは翌年の馬群をぶち割って頭差ダンシングサーパスを捉えた目黒記念が印象に残っている。種牡馬としては明らかに非力なので、母系からそこら辺を上手く補えれば、と勝手に思ってたけど、やっぱり厳しかったか。日本に入ってきた Riverman 系は他にベルマン、アカビール、ルション、パラダイスクリーク。リヴリア以外総じてたるいのは不思議。
ナリタハヤブサ(父ナグルスキー) 死亡
初めて家のテレビで競馬を観た1992年の武蔵野ステークスで、この馬は60.5kgを背負って豪快に追い込んでレコード勝ちした。パフォーマンスとしてはウインターステークスのレコード勝ち2回のいずれかがベストなのだろうが、インパクトではこの武蔵野ステークスが生涯最高だった。おれは一時期(というかかなり長い間)自分のハンドルを「成田隼」にしていたこともあった。好きな馬だった。ダイナレターと同じく、もう少し遅く生まれていれば、もう少し勝ち星を増やしていただろうとは思うが、はまると豪快な反面勝ち味に遅いところもあったので、あんまり増えてなかったかも知れない。ともあれ競走生活晩年は競走意欲を失ったようなレースを続け、公営新潟競馬に移籍してからは脚部不安で満足に使えず、全盛期に比すると寂しい幕引きとなった。それでも種牡馬入りして、中央で1000万下まで行く産駒を2頭出して、地味ながら幸せな余生を過ごしているのだなと喜んでいた矢先、事故で命を落としてしまった。前も書いたけどもう一度書く。おれはこの馬のことを忘れないだろう。
ノーザンキャップ(父オグリキャップ) 用途変更
中央500万下、悪くないけど平凡な牝系、となるとオグリキャップに全てがかかってるのか。それは荷が重過ぎるな。産駒も案の定というか、殆ど居ないようで。奇跡は起きない。
ハクタイユー(父ロングエース) 死亡
白毛種牡馬としてたぶんかなり有名。血統表初めてちゃんと見たけど、びっくりするほど渋い種牡馬ばっかりかかってる。引退事由は「使役」になっていて、実際普段は神社とかで働いてたらしいから、たまに種付けする以外は本業で喰っていたのだろう。なんかちょっとかっこいい。白毛の遺伝について調べるためだけにこの馬を種牡馬にしちゃったりとか、白毛牝馬に種付けしてやっぱり白毛が産まれたりとか、その手のことって競走馬の能力向上にはつながらないんだろうけどすごく面白い。ある意味競馬の本質に近いところにあるような気もするし。産駒のハクホウクンサラ系ながら大井で勝ち星をあげてちょっと人気者だった。享年二十四。
バトルイニシャチブ(父ホリスキー) 死亡
うーん、現役時代を知らないので、これで10年以上種牡馬やってたのはちょっと不思議。繋養者がよっぽど愛着を持ってたのか。この馬もマルゼンスキー系だ。
パワークリント(父ヤワ) 用途変更
パワークリント種牡馬になったことを知っている人はどれほど居るんだろう(想定される質問:「パワークリントって誰?」)。ヤワの産駒ではモリユウプリンスの次に強かった馬。芝の中長距離で4勝して、長い長いスランプの後に障害入り、3連勝した後の阪神障害ステークスでレース中故障して引退した。産駒は初年度に1頭だけ。なんか、道東の方の牧場でリードホーユーと一緒に繋養されて、競走馬と乗馬兼用で種牡馬をやってる、って話をどっか(たぶん『種牡馬辞典』)で見た憶えがあるんだが、ネットでは全く裏が取れない。しあわせに暮らして欲しい、けど。
バンブーアトラス(父ジムフレンチ) 死亡
ああ、バンブーアトラス好きだったなあ。バンブービギンは昔過ぎて知らないけど、エルカーサリバーアグネスパレードは勝負強くてかっこよかった。バンブーゲネシスが死んでしまったのは残念だった。ピークが短い印象もあったかな。
フジサンデーズサン(父サンデーサイレンス) 用途変更
サンデーサイレンスの仔、ソシアルバターフライ系。金沢公営で30戦5勝。産駒は今年デビューらしい。言うべきことがない。
プルラリズム(父 The Minstrel) 死亡
ザミンストレルには微妙な親近感があるのだけど(理由は伏せるがちょっと考えればすぐわかる)、日本に輸入された父系は悲惨そのものだ。ロングリート、クルセダーキャッスル、シルヴァーヴォイス、レイザーレイン。プルラリズムはおそらく一番ましだったが、それでも決め手と底力がない印象は拭えなかった。それで種牡馬シンジケートも解散されたが、民間の引退種牡馬支援組織に引き取られて余生を送っていたらしい。畜生ちょっといい話だな。参照→ノーザンディクテイターの会
ホリスキー(父マルゼンスキー) 用途変更
旧時代のステイヤー。パワーは伝えたが、案外粘り強さは伝えなかった印象もある。この馬の現役時代とは競馬がだいぶ変わってしまったので、父系がつなげられないのも仕方がないかな、とは思う。しかしマルゼンスキー系が残せないのは悲しいことだ。ホリスキー自身は昨年11月に死んだそうです。
マイシンザン(父ミホシンザン) 用途変更
うーむ、確かに産駒は全然見なかったけどなあ。ちょっと見限られるのが早い。3歳春に皐月賞→NHK杯→ダービーという路線を目一杯踏んでしまって屈腱炎になった、という印象があったのだけど、今思うともともと目一杯走りすぎる馬だったから、遅かれ早かれああなっていたのかも知れない。10ヶ月ぶりだった5歳時の朝日チャレンジカップがベストパフォーマンス。実は現役時はそれほど好きじゃなかったけど、あのレースはほんとに凄みのある末脚だった。関係ないが、このレースにフェスティブキング(父パドスール)が出ていたのは忘れられない。

明日は最終回(予定)。

*1:というのも、テリオスメジロランバダを出してしまったので、流石に優劣が誰の目にも明らかだから。