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「正しい」柔道


これはセミファイナルでの横澤由貴選手の大逆転劇もそうでしたが、やっぱり日本のとにかく一本を取りに行く柔道という路線は間違っていないことを、この二人は証明してくれたように思います。僕はメダル云々よりもそのことが素晴らしいと思いました。
やっぱり柔道では一本を取りに行くことの方が有効だということ、特に一日に何試合もトーナメントで戦うこうした大会を勝ち上がっていくには最適なので、なぜ他の特に欧州諸国がそうした柔道を選択しないのかなというのは、長年の疑問だったのですが、
おれは柔道はオリンピックの時ぐらいしか観ないが、今回感じたのは審判が「消極的姿勢」、特に「かけ逃げ」を以前より非常に厳しく取るようになったな、ということ。露骨なのだと下手すると1回でも反則を取られる。従って、相手の大技の機会を封じながら細かい技でポイントを稼ぐ欧州型の試合運びは、以前より不利になっている、のだろう。
逆に言えば、少し前まではポイントを稼ぐ戦法も充分有効だったと思う。世界の、柔道というものの捉え方が、少しずつ日本に近付きつつあるのかな、と感じる。
欧州的な柔道が成立した理由は、要するに「そうしちゃいけないから」ってルールがなかったからだ。荒井君輝がかつて書いていたのだが、ルールというのは反則の定義でしかない。日本人の間では「柔道ってのは一本を狙うものだ」という了解があるから、それが敢えてルール化されなかった。ポイント制は、一本を狙った技が不充分だった時のためのルールだったんだろう。国内ではそれで充分だった。でも、柔道が国際的な競技になった時に、その了解は国際的なものにはならなかった。それをわかってもらおうと思ったら、えらい人が道だとか精神だとか言うんじゃなくって、最初から今みたいなルールにしとかなくちゃいけなかったんだ。
ただ、欧州的な柔道が全くの邪道かというと、必ずしもそうではないのかな、と感じる。特に先入観のない欧州人にとっては、日本人が当然に感じるほどには一本が重要でないに違いない。それはそれで面白いものであるのかも知れない。ある競技が国際化することで、競技が変容してしまうとしても、そこに新しい面白さが生まれているのなら、好き嫌いはおくとして、競技自体にはプラスになっている場合はあるだろうと思う。
裏返しの例を挙げると、野球がある。米国人の野球における真っ向勝負感覚は、時に日本人にはついていけないことがあるんじゃないかと思う。「そりゃ真っ向勝負もいいけど、知略を尽くして相手をかわすのも戦い方のひとつなんじゃないの?」と感じることのある人は少なくないんじゃないだろうか(推測)。少なくともおれはそう感じることがあるので、欧州的な柔道を否定する気にはなれない。
(これに関しては、パ・リーグ同好会のシュルジー檜山氏が書いた名文がある。おれとはスタンスが少し違うけど、いい機会なので紹介しておく。→上原の涙と、海の向こうのホームラン競争
とはいえ、欧州的柔道の方が観ていて面白い、とも流石に感じない。世界的な流れもそうなのかも知れない。それがルールに表れてきているのだとすれば、今回二日目までに日本が金メダルを3つ獲得したことは、その流れの上にあるんじゃないだろうか。そう単純なものでもないのかも知れないが。