黄昏通信社跡地処分推進室

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似非フォーチュン活性化プロジェクト(7)

最近リソース追加できてません。つーかねた切れ気味。なんでもいいから一日いっこ、と思うんだけどいざとなるとなかなか。みなさんもなにか思いついたりはっとするような言葉に出会った時は気軽に送ってください。つうかTさん、吉川ひなのの奴送ってください。
さあ今日の一本。


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「それともきみは、平均的な人間というのは、あるとき熟慮の末に合理的で倫
理的な哲学を組みたてて、その欠点が発見されたときには適切な修正を加えて
いるものだ――とでも考えているのか? それはただの幻想だ。たいていの人
間は、いろいろなできごとに翻弄されながら生きていて、制御のおよばない力
に人生を決められているだけなのさ。」
             ――グレッグ・イーガン『宇宙消失』/山岸真
グレッグ・イーガンは当代を代表するSF作家で、おれの大好きな作家でもある。初めて読んだ時は全く度肝を抜かれたし、今なお未読の話を読むたびにわくわくする。新刊が出たら絶対買う、と言い切れる数少ない作家。詳しくは長くなるのでこの辺までにしておく。(かつてサイトの方でも書いている→過去のおすすめ:グレッグ・イーガン『祈りの海』
この科白は主人公のもので、作中ではそれほど大きな位置を占める科白というわけではないのだが、作者は長編にもこの手の小さな議論を盛り込むのが好きらしく、ちょくちょくこういう長科白が出てくる。その辺りはなんともSFらしいというか、読む人に対する敷居を高くしている部分は否めない。それでも、こういったものを全部取り除いてしまったら、少なくとも違ったものになってしまうのだろうなとは思う。
この科白では「哲学」という言葉を使っているけど、ここでの哲学はかなり小さなことから人生そのものに関することまで幅広く包含する。多分。「判断基準」と言い換えてもいい。そしてこの議論は、抽象的な/定量化できないものだけでなく、具象的な/定量化できることに関しても、多くの人に関してあてはまるんじゃないかと思う。合理的に生きることはそれだけ難しいし、逆に言えば必ずしもそうじゃなくても全然困らない。それをよしとするかどうかは、また別の話だけど。