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ハード SF って/あるいはそもそも SF って

先日妻に「ハード SF って何?」と聞かれて答えた内容をメモしておく、生煮えシリーズ第2弾。
SF というのは、現実世界と地続きである世界を舞台に展開される物語なのだ、と思っている。地続きというのは曖昧な表現で申し訳ないのだけど、個人的にはその表現が一番しっくり来るのでここではそれで通しておく。
現実世界というのはつまり、物理法則に支配されている、おれたちが住んでいるこの世界だ。地続きというのは、基本的にはその物理法則が通用する、ぐらいに考えてもらえればいい。SF とファンタジーの境目はここにある。ファンタジーにおいては、舞台となる世界は現実世界と地続きである必要はない。むしろ切り離されているのがふつうだ。だから、SF の書き出しの王道は「西暦 20XX 年、」なのだし、ファンタジーでは「今とは別の時間、別の世界の物語です」になる。
ブラッドベリはかつて(たぶんすっげー昔)「触れるもの全てを金に変えてしまう王様が居たとして、それを魔法の力だと説明すればファンタジー、こっそり原子変換装置を使っているのだと説明すれば SF 」というようなことを書いていたが、ある程度は納得のいく説明だろうと思う。というかもしかして言いかえただけかこれ。まあよい。
地続きでありさえすれば、どんなに遠い地平でも構わない。どうやってつながってるんだろう、と思わせても構わない。地続きでありながら飛躍がある、その飛躍の部分に往々にして面白さは潜んでいるからだ。もちろん、つながり方や飛躍の仕方は気にせず、その世界で物語を展開することに重きを置く作品もあるだろう。そういう作品を「スペース・オペラ」などと呼んで SF と区別しようとする向きもあるが、個人的にはそこまでしなくてもいいかなと思う。
「ハード SF」というのは、そのつながり方が厳密であるものを指す。厳密であるというのは、理屈で説明をつけているということだ。アイデアを基に、想像力を用いて、論理を構成し、現実世界をある方向に拡張する。その世界の光景こそが、ハード SF の醍醐味だ。
その拡張のために、当然だと思っていたものが揺るぎ始める。あるいは、違う角度から見え始める。その揺らぎや違う角度の像は、地続きだからこそ読む人を動かす。
必然的に理屈っぽくなるし、題材も少しマニアックになりがちで、とっつきにくいことは否定しない。それでも、それだからこそ提供できる面白さはある。その面白さは、SF の持つ最良の一部分なんだろうと思う。