黄昏通信社跡地処分推進室

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名前を残した馬たちへ2007 (5)

かなり久しぶりになってしまった。
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マイネルブライアン(父ブライアンズタイム/母マイネレーベン,1997) 転売不明→死亡
デビューから4週間で3勝をあげた早熟馬。そこからいきなり芝の G1 にふたつ続けて使われて大敗したが、ダートに戻ってからはそこそこ走り G3 を3勝した。引退後は種牡馬になったがすぐに事実上供用中止となり、ビッグレッドファームで当て馬をしていたが放牧中の事故で骨折し安楽殺処分となった。産駒が居るかどうかもわからない。もともとダート中心でこの程度の実績の馬に種牡馬としての居場所は中々ないが、その中で故郷に戻ってアテ馬というのは早々と見切りをつけられたことを割り引いても悪くはないだけに、なんとも寂しい。
マキバスナイパー(父ペキンリュウエン/母スコールディング,1995) 用途変更
ペキンリュウエンの、ぶっちぎりで代表産駒。船橋を本拠地に南関東の重賞でタフに活躍した。ケント・デザーモを鞍上に帝王賞を勝っている。生まれ故郷の千葉新田牧場種牡馬入りしたようだが1年で供用停止となっている。父系馬鹿さんによると日本における Bois Russell 系最後の種牡馬となりそうらしい。ヒンドスタンは遠くなりにけり。それにしてもペキンリュウエン種牡馬にしてこの馬を出したのは凄い。
マンボノテイオー(父フジキセキ/母インディペンデンス,2002) 用途変更
未出走でフジキセキの産駒、馬主はターフ・スポート種牡馬になった理由が流石にわからないなあ。2005 年に3歳で供用開始、産駒も誕生しているらしい。さて、どんなものか。
ムービースター(父ディクタス/母ダイナビーム,1986) 用途変更
うお、まだ供用されてたのか。ディクタスとノーザンテーストのニックスを世に知らしめた馬の一頭。1992 年の天皇賞・秋で最後方から2着に突っ込んできたのは忘れられない。結局 G1 はこの2着が最高で、あとは G2 勝ちがひとつと G3 勝ちが3つだったが、追い込み一本槍の脚質もあって実績以上に印象の強い馬であったと思う。種牡馬としてはやはり苦戦続きで、むしろよくこの歳まで供用してくれたというところ。
メイセイオペラ(父グランドオペラ/母テラミス,1994) 輸出(韓国)
言わずと知れた、地方競馬所属のまま中央競馬の G1 を勝った初めての馬。フェブラリーステークスは素晴らしく強かった。今思うと比較的ピークが短かった感があって、ちょうどそこに中央の G1 を収めて勝ったのは中々のものと思う。ドバイに行っても勝ち負けになった可能性は低いだろうが、ピーク時の力に比して狭いフィールドでの活躍で終わってしまった印象があるのはちょっと残念。種牡馬入りしてからは案外繁殖牝馬を集めているようで、韓国へ輸出された産駒が活躍していることからこのたび自身も韓国へ輸出されることとなった。徹頭徹尾ダート向きの筈だし、成功する素地はある。既に日本にそれなりの数の産駒は残しているし、種付数も減っているのだったら、渡りに船と言っていいタイミングではないだろうか。幸運を祈る。
メジロディザイヤー(父サンデーサイレンス/母メジロラモーヌ,1994) 用途変更
メジロラモーヌは現役時の華々しい実績に比して繁殖入り後は全くぱっとしなかった。配合相手にサンデーサイレンスを迎えて生まれた四番仔がこの馬だが、まあ競走成績は聞いてやるなというレベルだった。それでも青森で種牡馬入りして、毎年のように八戸市場に数頭から十数頭の産駒を送り出していたのが印象深い。しかし最近メジロベイリーがやはり青森で種牡馬入りしたとかで、すっかりシェアを奪われた状態になっていたとのこと。自身を超える程度の産駒は既に出しているが、残された産駒はどこまでやれるか。
メジロマックイーン(父メジロティターン/母オーロラ,1987) 死亡
昨年死亡した時に短い文章を書いた。競馬を見始めた時期、即ち自分の競馬観が形成される時期に既に G1 を勝っていながらもなお高みへの階段を上がりつつあったこの馬が、結果的に最後となったレースで見せたパフォーマンスは、おそらくおれの中での「最強馬」の概念が初めて具体的に形成された瞬間だったのだろうと思う。まあ後にして思えば、だが。種牡馬としては比較的恵まれたスタートながらチャンスをつかみ切れなかったきらいがある。ホクトスルタンは最後の希望と言ってもいいだろう。ドラマチックなタイミングで出てきたものだ。死してなお「名優」というところか。
ヤマニングローバル(父ミスターシービー/母ヤマニンペニー,1987) 用途変更
ミスターシービーの、確か初年度産駒。2歳時に新馬、特別、重賞と3連勝した時にはかなり騒がれて、ミスターシービーの種付料が 1000 万円に届くひとつのきっかけになった。とかいう話だったと思う。個人的には復帰以後しか知らないので、この馬の可能性についてはなんとも言えない。上で書いたムービースターが2着に入った天皇賞で3着に来ている。メジロマックイーンとは同期なんだねえ。ミスターシービーが父系を伸ばせなかったのはタイプ的にある程度しょうがないかなあという感じはするんだけど、もう少しチャンスはあってもよかったかも。戦後の三冠馬種牡馬としての成功順に並べたらシンザンシンボリルドルフミスターシービーナリタブライアンセントライトぐらいになるのかな。
この馬は 2002 年に種付けしたのが最後らしく、抹消が1月1日付になっているので、あるいはもう何年か前に供用停止になっていたのかも知れない。

次回、最終回。