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凋落した名門校の話

おれが学んだ中学校と高校はかつては名門と呼ばれることがある程度には「いい学校」だった。おれが卒業する時ぐらいまでもかろうじて名門のはじっこには引っかかっていたような気がする。でも微かな凋落傾向――ここでいうのは所謂「いい大学」に入った人数が減ったとかそういう話――は見え始めていたし、それはおれが卒業して何年かしてからはっきりと現われ始めた。


あの学校には進路指導というものがないに等しくて、一応面談めいたことはしていたと思うのだけど、少なくともおれに関してはどこどこを受けたいと言ったらきみなら行けるんじゃない受ければ、という程度のことしか言われなかった。もっともそれ以上のことをこちらも求めていたわけでもなく、本気でそういうことを検討したければ塾なり予備校なりに相談するべきだと思っていたのでそのことに不満があったわけではなかった。


それをよしとする校風だった。先生にも生徒にもそういうところがあったと思う。学校で学ぶことと大学受験のために必要な勉強とは同じものではないと思っていた。もちろん重なるところは多いのだけど本質的には別のものだし、受験のために必要な勉強は各自が学校の外で独自に調達するものだという諒解があった。それでもそこそこの人数が「いい大学」に行ったし、それで曲がりなりにも名門と呼ばれたこともあった。


しかし年が経つにつれてあの学校から「いい大学」へ入る人数はどんどん減っていった(らしい)。受験のテクニックを全然教えてくれない学校。進路指導もろくにしてくれない学校。そういう評判が少しずつ広がっていくにつれて、「いい大学」を目指す生徒の親たちから、あの学校はどんどん敬遠されるようになっていった。そうなればさらに実績は落ちる。
それでもあの学校の先生たちはやることを変えようとはしなかった。自分たちがよいと信じている教育を施し続けることこそが大事なのだと信じていた。受けていた側からすれば、確かにあの学校の教育はすごかった。おれはそれを十二分に享受していたとは言えないけれど、それでもあの学校で学んだこと、得たこと、形成された考えは多いし、おれの根幹の一部を作っている。そうためらいもなく言える程度にはおれはあの学校が好きだったと思う。


近年になってようやく方向転換が始まった、らしい。古きよき時代を知らない先生たちが増え、学園内で力を持つようになってきた。実のところあの学校の先生にはあの学校の OB が多くて、それがますます古い体質から脱却できない原因になっていたのだと思うのだけど、もしかするとその辺りも変わりつつあるのかも知れない。「よい生徒」を集めて「いい大学」を目指させるということにも力を入れていこうという方針になりつつあるらしいのだ。


なんとも言えない気分になった。
自分の母校が「凋落」していくのを見るのは面白いものではない。それは本当にそうなのだけど、その一方で母校がその矜持を捨てて受験技術だけを必要とする世に阿るのを見るのもそれはそれで悲しいものだ。
在学中、同級生と進路指導の話になったとき、当時はあの学校がまだライバルだと見なされていた別の名門校では、東大の理科一類に行きたい奴でもあんまり成績がいいときみは理三を受けなさいみたいなこと言われるらしいよ、別に医者になる心算なくても、というような話を聞いて、よくないよねえそういうのは、その点うちの学校なんて何にも言わないもんね、と言いながらそのことが誇らしかったのを憶えている。


なにが正しいという話ではない。ただもはやかつてのようではないというだけのことだ。そしておれが抱いている感情は単なる郷愁にすぎないのだ。