殿下(id:mahal)*1とツイッターでやりとりして、思い出したことなどを書く。
ある程度以上の速さで回転している円盤を見ると、それが逆回転しているように見えることがある。これは誰しも体感したことがある現象だと思う。おれは最初それをテレビで見て、父に原理を聞いた。おおまかな原理はすぐに理解して、おれはそれはテレビやフィルムに限られた現象なのだと思いこんだ。原理的に秒間数十コマという制約のある媒体で撮影しない限り逆回転に見えることはあり得ない筈だからだ。
ところが多分何年か経ってから、おれは裸眼でもその現象が起きることに遅ればせながら気がついてひどく当惑した。時間というのは連続していて、人間の脳というのは連続した映像を連続のまま捉えているのだと思いこんでいたからだ。しかしもちろん現実はそうなってはいない。おれたちの脳はせいぜい秒間数十コマを捉えるのが精一杯で、脳はなんとかそれを並べて連続っぽい世界を想像しているにすぎない*2。
そういえば、ある範囲のレベルの薄暗い場所で手指を素早く動かすとはっきり残像が見えることがあるが、その時も残像は曲線を描くのではなく、いくつも手の形が残っているようなコマ落としで目に映る。あれは多分むしろ本来の見え方なのだろう。ある程度以上の暗さだと、どういうわけか脳はそのコマの間をうまく繋ぐことができなくなるのだ。
さて、LED 表示が逆イタリックみたいに見えるときなにが起きているか。たぶんだけど、LED ディスプレイは上の段から順に描画してると思う。
そして、そのディスプレイで文字が右から左に流れていくと、
○●●●●○○
○●○○○●○
○●●●●○○
○●○○○●○
○●●●●○○
●●●●○○○←描画してる段
○●○○○●○
○●●●●○○
○●○○○●○
○●●●●○○
●●●●○○○
●○○○●○○←
○●●●●○○
○●○○○●○
○●●●●○○
●●●●○○○
●○○○●○○
●●●●○○○←
○●○○○●○
○●●●●○○
●●●●○○○
●○○○●○○
●●●●○○○
●○○○●○○←
○●●●●○○
このように進んでいき、これは逆イタリックっぽいと言えないこともない、というのが上記の4番目のツイートでおれが言いたかったことだ。もっとドットが多ければもっとそれらしく見えるだろう。ただしもちろんこれは止まっている時でもこう見えていなければならない筈だ。ところが実際は止まっている時には逆イタリックっぽく見えたりはしない。
●●●●○○○
●○○○●○○
●●●●○○○
●○○○●○○
●●●●○○○←
もしかすると、止まっている時は、文字というのは文字単位のかたまりで認識されているので、上から順に流れているとは知覚しないのかも知れない。それが、移動中の視野だとかたまりでの認識がうまく機能しないのかも知れない。
ツイートでは「走査線は多分ない」と書いたのだけど、おれたちの眼はこれほどまでに不完全だし、まだわかっていないことも多い。網膜の入力がすべて同時に脳で処理されているという証拠もないだろうし、ローリングシャッター効果みたいなものも起こりうる、のかも知れないとすら思う。なんにしても、人間自身の知覚認識から脳内で行われている処理を探る、みたいな試みはなにか転倒した感じもあって面白い。
追記:あと、いま思い起こすと面白いのが、逆回転現象を体感したときに「ひどく当惑した」ことだ。当惑というより拒絶に近い感情だったと思う。脳内の処理について事実上何も知らなかったのに、そんなことがある筈がないと強く思いこんでいたのは、一体何故だったのだろう。