黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

『ならずものがやってくる』 ジェニファー・イーガン著/谷崎由依訳 早川書房,2012



『ならずものがやってくる』 ISBN:9784152093233


さてこの本をどう説明したらよいか。連作短編というべきか、長編というべきか。まあ別に区分に意味があるわけじゃないのだが、そんなような形式をとっている。それぞれのパート/短編は一部の例外をのぞいて三人称の(ほぼ)固定視点になっていて、あるパートに登場した別の人物の視点で次のパートが進む。年代も舞台も幅があり、1970 年代から 2010 年代後半ぐらいにおよんでいる。
中心となる登場人物はサーシャとベニーで、ベニーは一度はカリスマ的な立場までのぼりつめる音楽プロデューサー、サーシャはベニーのアシスタントとして働いていた時期がある。
全部で 13 のパートからなり、1 から 6 までが「A」、7 から 13 までが「B」とされているが、これはアナログレコードのアルバムを意識した構成になっている。


一番最初のパートがサーシャの視点、二番目のパートがベニーの視点になっていて、そこでふたりの抱える闇が示される。サーシャは聡明であるために自分の受けているカウンセリングをメタな視点で捉えてしまい、救いを得ることができない。ベニーは金箔をコーヒーに入れて飲んでいるが、もちろんそんなものも救いにはならない。だがサーシャにしてもベニーにしても外から見ている分にはまっとうであったりある局面では成功者だったりする。様々な時間と様々な視点で描かれることで、ふたりの人となりが立ち上がってくる。ふたりの視点のパートはそれぞれ最初の一回づつしかないし、一方が、あるいはふたりともが登場しないパートもいくつかある。にもかかわらずこのように立体的に光と影を持った人物を書けるものかと感心する。明らかに病んでいて欠点も多いのに、ふたりとも魅力的なのだ。


ちょっと奇妙な技法的趣向を凝らしたパートもあって、目立つのは二人称主語で書かれている 10 番目のパートとあるツールを使って書かれた 12 番目なのだけど、そのふたつはあまり上手く行っているとは思えなかった。前者は解説によると「単なる異化効果にとどまらない必然性」と書かれていたがおれにはまさに単なる異化効果しか感じられなかったし、後者は「○○(←ツールの名)文学」などと書かれていたが7年前には「あたし状態遷移図」を見せられていたはてな在住民にとってみれば子供の遊びみたいなものである(とはいえそのパートは子供の視点なのでまあそれでいいのかも知れない)。


特にA面はほとんどのパートが暗い結末を迎えたり不穏な展開を予感させて終わったりするため読んでるうちにこれどうなるんだろうと思ったが、B面に入ってからあるパートが意外なほど幸福な終わり方になって、最後のふたつのパートではふたりにある程度の救いがもたらされたらしいことがわかる。なるほどそういうこともあろう、と感じたけれど、そのゆえにますます最後のパートで描かれたひとつの奇跡は少し蛇足の感を受けた。そこはほんと好みの問題でしかないのだけど。





追記:これだけ舞台と時間を変えながら人間模様を描ける手腕はふつうにすごくて、その意味ではめちゃめちゃ巧い。これだけ多くの人物を配しながらそれぞれが絡み合うように書くのは相当の力業と思う。