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『マレ・サカチのたったひとつの贈物』 王城夕紀著 中央公論新社,2015

マレ・サカチのたったひとつの贈物

マレ・サカチのたったひとつの贈物

生きていく上で、どこにも根を下ろすことを許されなかったらどうだろう。どんな一生になるだろう。主人公の坂地稀(さかち まれ/マレ・サカチ)は、量子病という病気――というよりも特異体質――を持っていて、ランダムなタイミングで「跳んで」しまう。すなわち、今いる場所から消えうせて、地球上のどこか別のところにあらわれるのだ。その場所も基本的には無作為で、ただひとつ他の人間がいることだけがどうやら条件になっているらしい。幼い頃はジャンプの頻度は小さかったが、長じるにつれて跳ぶ頻度は上がっているようだ。


おれだったらそんな人生到底耐えられないな、と思ってしまうが、稀は前向きに対処する。英語を覚え、フランス語を習得する。意志の疎通ができなければ文字通り話にならないからだ。根を下ろすことができないゆえに、一回一回の跳躍では出会う人と交わらざるを得ない。なかなかそれも辛いものだろう。しかし実際そんな暮らしを強いられれば人間そのように生きてしまうものかも知れない。そこはさすがに想像がつかない。


稀の人生と並行して、世界の情勢が描かれる。作中では世界経済が限界を迎え、富の極端な集中が進み、死にかけた経済を一瞬だけでも活性化させるために祝祭やイヴェントが次々に開催される「祝祭資本主義」という刹那的なやり方が蔓延しつつある。その状況から根本的に脱却するための方法が開発されて、稀はある選択を迫られることになる。


終盤描かれる人々のあり方は、どこかほっとする感じがした。頭で考えると、なにもそっちを選ばなくてもいいのに、と思うのだが、なんだかんだ言って手触りのないものに信をおくというのは難しいということなのかも知れない。実際に明るい未来が待っているとは思いがたいのだけど、それでも悪い選択じゃないんじゃないかと思った。





ところで稀は身に着けているもののうちどういうわけか青いものとだけは一緒に跳ぶことができる。これは作中でも原理を説明することは放棄されているのだけど、そんなわけで稀は跳ぶ先々で青い服や青い靴を買い求めて身に着ける。なぜ作者がそれを青にしたのかはいよいよ想像するしかないわけだが、小説という視覚情報の少ない媒体で読者が想像する坂地稀は必ず青い服を身にまとっていることになるわけで、これはなかなか(力づくだけど)すげえ設定だなと思った。
青いのは、空や海、空気や水の色だからだろうか。空気や水は無色であるがゆえに波長の短い色に見える。どこにもあまねくあって、しかし本来色が存在しない物質に映る色。そう思うと稀が青しか身に着けられないというのはすごく儚い気もする。まあこの理由おれの妄想なんですけど。