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『文字渦』 円城塔著 新潮社,2018-07

文字渦

文字渦

これは面白かった! 文字、特に漢字にまつわる十二編の連作短編。
なんと説明してよいか難しいのだが、漢字というものの不思議さと魅力にさまざまな角度から迫った話、とでも言えばいいだろうか。たとえば「微字」では、漢字のかたちをしたごく小さな生き物《阿語生物群》の生態について語っている。その字が増えるためには人→从→众というふうに自己増殖していくやりかたや「門」という形の工場をつくってその工場の中で「閃」という風に新たな字を作り出すやりかたがある、とか。たとえば「誤字」では、筆によって書かれる文字について語られるくだりがある。筆先は画を描いていない時でも動いていて、それは三次元の軌道を描いている。その軌道と、書かれる紙の含まれる平面の交わる軌跡こそが「文字」である、とか。


そういうほら話であったり、ある点では本当の話であったりするのだけど、その説明の中で著者は徹底的に遊んでみせる。「从」や「众」という字を御存知だっただろうか。これは「林」「森」でもできるといえばできるのだけど「人」であるのには理由があるし、他の短編の中では人偏の漢字だけがテキスト中で緑色に光って見えるという説明があったり、「人」の付く文字ばかりが八万種類書かれた木の板が出土するなんて記述があったり、様々な形でそれぞれの短編がリンクしている。読んでいて、何気ない記述が以前に読んだ部分と呼応しているのに気がついて「あっこれは」となる瞬間は単純に気持ちよくて面白く、思わずにやりとしてしまう。


個別の説明もいつもの円城節でたいへん面白い。理屈っぽく、ある方向へ掘り下げたかと思ったら突然スコップを置き、振り返り、上を向いてやにわに今度は天井を掘り始めて、むろん天井がスコップで掘れるはずもない、などと平然とのたまうような文章が展開される一方で、吸血住虫だの骨のモノアイだの文字コードディアスポラだのと小ネタが次々に投げこまれる。
著者はインタビューで「笑ってください」と言っていた。なれば素直に笑えばいいのだと思う。実際読んでいていくつも笑えるところはあった。しかしそれにしても、と思うのだ。この笑いの後ろにどれだけの知識と情報量が潜んでいるのだろう。雑誌で掲載された時には「微字」で増える文字は「厽」だった。ここまで直すのかよ、と思ってしまう*1


それにしても面白い小説だった。著者の作品の中では、などと言えるほどたくさんは読んでいないけれど、今のところこれが一番好き。

*1:そして「『厽』は見慣れない字だろうが『鰺』に寄生しているため形としては見慣れている人も多いはずである」というような説明がついていて、それにはめちゃめちゃしびれた。直されていたのはちょっと残念だった。