黄昏通信社跡地処分推進室

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入院 (1)

朝ちょっと食欲がなかった。
といっても全然喰えないというほどのものでもなく、食べようと思えば食べられるぐらいの感じだったが、このところどうも食べ過ぎてるなみたいな感じもあって牛乳だけにしておいた。妻が一日仕事なので送り出した後、昼前に子供たち二人と家を出て縄跳び→図書館→梅まつりとはしごした。もう普通にお腹が空いていたので、じゃがバター×2、鶏の唐揚げ×2、たこ焼き、チョコバナナ(これは子供たちだけ)といろいろ買い食いした。天気が良く、今年は梅が咲き始めるのも早くて、よく賑わっていたしすごく綺麗だった。
帰って少し昼寝した。起きて、お腹の調子が明らかに悪いことには気づいた。その日は晩ごはんにステーキ肉を焼いて食べる予定だったから、ちょっとまずいぞという感じはした。お腹以外は全然普通で、風邪とかそういう感じはなかった。
1645、娘がスイミングに行くので、バス停まで送る。この時は本当に普通に行った。
1745、次は息子が行くタイミングだったが、ちょっと出られそうになくて、ひとりで行ってくれと言ってしまった。この前後で妻に LINE でお腹の調子はどうかと訊いた。子供たちは大丈夫そうだった。
1845、娘が帰って来たが迎えにも出れず、とりこんだ洗濯物を放置して寝ているおれを見て娘が慌てて「ゆきがせんたくものたたむよ!」と言ってちんたらたたみ始めた。
1945、息子が帰って来る。かろうじてご飯は炊いてあったがそれ以外のことはなにもできておらず、腹の調子は漠然と悪くなる一方でしかし下すでもなく、子供たちに財布を渡してスーパーでおかずだけ買って来て食べててくれ、父ちゃんのぶんはいいから、といって奥の部屋にこもって寝る。
2015ぐらい?、寝ていられず、起きてトイレにこもるが、なにも出ない、しかしお腹はどんどん痛くなる。七転八倒のすえ息子に頼んで妻に電話をかけてもらう。「おなかがいたい、いたすぎてなにもできない」とかしか言えなかった気がする。妻は近所のスーパーまで来ていたので、飛んで帰って来てくれた。すぐに #7119 に連絡→そのまま 119 に繋がれて、聞いた話では五分ぐらいで救急車が来たらしい。おれはもう立って歩くこともできなくて、救急隊員がストレッチャーで運んでくれた。
【子供たちはふたりで階下に救急車を迎えに行ってくれたりおれに「大丈夫?」と声をかけてくれたり頑張ってくれたのだが、妻がじゃあ行ってくるねというと急に泣き出したそうだ。この後義母に来てもらい、病院に着いた後に妻が電話したらもうけろっとしてたらしいけれど。】
2100頃救急車に乗る。まだかなりお腹は痛かったがほっとしたのを憶えている。いくつかの質問に答えて、盲腸か尿管結石の可能性が高い、内科も外科もある大きいところ、という条件で二箇所ほど連絡していただろうか。わりとあっさり受け入れが決まって、救急車が走り出した。到着するまでほとんどずっとうーうー唸っていた。妻が手を握ってくれていてありがたかった。
病院では車椅子で運ばれる。あらためて問診されて、触診されて、採血、レントゲン、しまいには造影 CT まで撮られた。診断はやはりというか、急性虫垂炎。いわゆる盲腸だ。そのまま入院して、翌日手術ということになった。あまり憶えていないが、疲労と消耗、そして解熱剤と鎮痛剤のおかげもあって、この日はけっこう眠ったと思う。