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『ひとの目、驚異の進化:4つの凄い視覚能力があるわけ』 マーク・チャンギージー著/柴田裕之訳 インターシフト,2012-10-20

少し前の本だけどめちゃくちゃ面白かった。これはおすすめ。人間の視覚にまつわる四つの話。


小さい頃から不思議だった。人間の目がふたつ正面向きについているのは立体視のためだという。だけど、片目でも充分立体的に見えるよな? それに絵の中とか、画面の中のものだって立体的に見える。目が正面にふたつ並んでいることは立体視の、少なくとも必要条件ではない。だとすれば何故――
と、これはこの本の第二部と密接にからんでくる話。著者はこれに対して面白い論を展開していく。おれの疑問については、概ねその通り。ものを立体的に見るにはむしろ形状や既知のものの大きさを手がかりにしているらしい。では両目で見る場合、片目で見るのと何が違うだろうか。視線を遮るものがあるときそのメリットが鮮明になる。顔から少し離れたところに指を一本立ててその向こうを見ようとしてみると、脳は左右の眼から入った信号を上手く合成して、指を透かしてその向こうが見えているように感じる。手を広げて、複数の指が立っている状態にしても似たようなことが起きる。これは確かにメリットのようだが、どんな場合にメリットになるだろうか。そこで著者は別の方向からアプローチする。正面に眼がふたつ並んでついている動物にはどのようなものがいるか。そして立てられる仮説は、葉むらを透かして向こうを見ることに適しているのではないか、というもの。斬新だし説得力があってよかった。
しかしなんといっても本書の圧巻は第一部であろう。色覚に関する話だ。人間の見る世界は総天然色ということになっている。だけど、天然色ってなんなんだろう。たとえば、虫や鳥にとっては花の色が人間とは全然違って見える、みたいな話を聞いたことがある人は多いだろう。逆に、犬には色が知覚できない、という話とか(これは誤りで、黄色と青は識別できる)。あくまで天然色というのは人間の感覚に過ぎないのだ。これには意表を突かれた。考えてみるとほんとうに当たり前のことなのだけど、光のスペクトルに色を見いだしているのは人間の脳に過ぎない。可視光線というカテゴリもしかり。現実にはもっとずっと幅広い波長の光が世界にはあふれていて、そのほんの一部に人間が勝手な都合で色をつけているだけだ。そして、この色のつきかたにも少し首をかしげたくなるところがある。人間の視細胞には桿体細胞と錐体細胞があり、錐体細胞が色を知覚する。その錐体細胞が人間には三種類あって、それぞれに周波数による感度が違うのだけど、一番短い波長を感じるものはかなり離れているのに、残りの二種類の感じやすい周波数はかなり近い。
これには進化の経緯がからんでいる。脊椎動物はもともとは四種類の錐体細胞を持っていて、魚はいまでも四種類すべてを持っているものが多いらしい。ところが哺乳類は進化の途中で夜行性になった関係で、そのうち二種類を失ってしまった。なのに霊長類はそこからまた二種類のうち一種類を分化させる形で三種類目をふたたび持つにいたっている。そのためにその二種類の感じられる周波数は近いのだと考えられる――が、だとすれば尚更、どうしてそれが分化する必要があったのか。
かつて「色覚異常」と呼ばれていた人間の二色色覚の持ち主には、赤と緑を見分けることが難しい。それは上述した感じる周波数の近い二種類の錐体細胞のうち片方が機能しない状態なのだそうだ。つまり、霊長類が三種類目を再度獲得する前の視覚に近いと考えられる。そこから類推して、三種類目があれば樹上生活で葉っぱの中に花や果実を見つけやすいからそのように進化したのだと言われてきた。でもそれってほんとうにそうなのか? 著者は少し強引に実験結果やデータを並べながらそれを検証していき、そこから大胆な仮説へ突き進んでいく。これがまた意外かつ説得力のあるところにたどりついて、なるほど、それで三種類目が必要になったのか、とうなずいたところで愕然とする。その副作用としておれたちには世界がこのような色に見えているのだ!
第一部の話が長くなってしまったが、第三部ではみんな大好き錯視の話、第四部では文字の話が語られる。そちらも中々に面白かった。というわけで視覚に興味のある人にはおすすめです。ことに第一部は、本から目を上げて見た景色がさっきまでとちがって見えるようなインパクトがあった。

文庫版も出てるみたい。ハヤカワ文庫 NF、どうやら今年の三月らしい。