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『監視資本主義:人類の未来を賭けた闘い』 ショシャナ・ズボフ著/野中香方子訳 東洋経済新報社,2021-06-25

めちゃくちゃ重い本であった(物理的にも、内容的にも)。本文も 600 ページぐらいあって脚注が 150 ページぐらい、それがやたら薄い紙に印刷されてるので読んでも読んでも進まないという感じだった。監視資本主義は原語では「Surveillance Capitalism」。人々の行動を監視することから利益を得る企業、つまり Facebook であり Google であり Microsoft であり、そういった巨大なデータを握っている企業が暗にふりかざしている――というより体現しているイデオロギーが「監視資本主義」だ。本書では冒頭で具体的な定義もされているが、1.~8.まで項目が並んでいて、これが本書を象徴している。そりゃ重いはずだと言いたくもなる。
だがまあせっかくなのでそこに書かれた定義から始めると、「1. 人間の経験を、密かな抽出・予測・販売からなる商業的慣行のための無料の原材料として要求する、新たな経済秩序。」という記述から始まっている。これが冒頭の企業群のしていることだというわけだ。たとえば Google。特定のユーザが検索する言葉をすべて知ることができたら、その人についてどれだけ知ることができるだろう。そしてそれを基に誰にどんな広告を出すか決められたら、どれほど的確な広告を出すことができるだろう。一介の検索エンジンに過ぎなかった今世紀初頭の Google がやってのけたのはまさにそれだった。そして Google は爆発的な成長を遂げる。真実はシンプルだ:人間のデータは金になる。それも切り口が多ければ多いほどいい。Google がまだド赤字だった Youtube をためらうことなく大枚をはたいて買収したのもそういうことだ。動画というチャンネルから入手できるデータは、買収金額なんて屁でもないぐらいの金に換えられるとわかっていたから。そして冒頭に掲げた大企業たちは多かれ少なかれ同じようなことをしているという。
それ自体はうまくやったな、というところなのだけど、すでにそんなことにはとっくに留まっていないのだというのが著者の主張だ。彼らは利用者の人生を巧みに奪っていく。とても便利で魅力的なサービスを作り上げて、それを独占に近い状態まで持っていって、きわめて一方的な契約を迫る。つまり、利用に関わる周辺情報を全部渡すことに同意しなさい、それらは第三者に提供されることがあります(こういったことはしばしば誰ひとり読まないくっっっそ長い利用規約に書かれている)、あなたはこれに同意しないこともできます、その場合はあれとこれとそれとあれの機能が使えません(要するに使い物にならない)、という脅しのようなやり方で情報の提供を強要してくる。これを著者は「強奪」であるとみなしている。たしかに利用者側には結局のところ選択の余地がない。
個人情報自体は、もちろん保護されている。それはあからさまに提供されたりはしない。彼らがかすめ取るのはメタデータだ。面白い研究があって、フェイスブックの利用者がプロフィールに開示している情報からパーソナリティ分析を行うとき、開示されているデータそのものよりもメタデータのほうが役に立つ(=実際の性格との関連が強い)のだそうだ。たとえば「どの政党を支持するか」よりも、「支持している政党を開示しているか好きなバンドを開示しているか」のほうが性格をよくあらわしている、みたいな話だ。そう言われると割と納得がいく。プロフィールにどの程度の量のデータを開示しているか、すらパーソナリティ分析の役に立つのだという。そういうものを彼らはどんどん持っていく。
他のやり口としては、誰のものでもないと思われていたものを我が物にしてしまう、というのがある。例えばグーグルストリートビューなんてあんなこと誰も考えてもみなかったのにとにかくいきなり車を走らせて写真をばんばん撮ってしまう。嫌なら消すためのオプションはつけますから、みたいなことは言うんだけどとにかくやってしまう。スピードが大事だからとかなんとか言って。そうするとまあ、訴えられたりする。そこでは一旦一歩引く。でもそうこうしているうちに時間が経って、一通り係争が終わるころにはみんな慣れてきてなし崩し的にストリートビューが既成事実になってしまう。こういう流れを彼らはもはや確信犯的にやっている。
このあと彼らが今度は人々の行動に介入してくるっていう流れになるんだけど、それはもうけっこうあからさまな形で実装されていて、つまり Ingressポケモン GO だ、っていう話だとか、自動車保険の保険料が実際の操作や位置情報のログによってリアルタイムに変わるから実質安全運転のサジェストになっている、って話とか。
想像してたみたいな暗い未来がもうとっくに来てるんじゃないかというビジョンは怖いけれど、向き合わなければならない部分は確かにあるのだと思う。おれはそれに対して何かできることがあるとは、ちょっと思えないのだけれど。