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『人類冬眠計画: 生死のはざまに踏み込む』 砂川玄志郎著 岩波書店,2022-04-16

ちょっと誇大広告的なタイトルの本。実際に書かれていることは、冬眠とはどういう現象を指すか、何がわかっていて何がわかっていないのか、そして2020年にマウスを人工的に冬眠に近い状態に誘導することができたよ、ということ。冬眠と言っても哺乳類と爬虫類その他ではかなり違うし、哺乳類の中でもヤマネやハムスターといった小型動物のそれとクマみたいな大型動物ではまただいぶ違ってくる。哺乳類に絞って言うと、体温が非常に低くなり、呼吸の頻度が下がって代謝が大きく低下する。普通哺乳類は低体温状態になると死んでしまうが、冬眠状態では死なないし、冬眠が終われば特にダメージもなく原状復帰する。原理はわからない。数ヶ月とか半年とかほとんど身動きしないのに筋力は全く低下しない。これも原理がわからない。「非常に低くなり」というのがどのくらいかは動物によって異なり、クマであれば摂氏30度ぐらい、ネズミのたぐいだと摂氏20度前後、ことによると一桁とかまで下がることもあるのだそうだ。ただし、一定の頻度で短いあいだだけ体温が平常近くまで戻るタイミングがあり、グラフをとると綺麗な等間隔のパルスが乗る。これも原理がわからない。理由もわかっていないが、わざわざエネルギーを使って体温を戻しているのだからそれなりの事情――それがないと死ぬとか――があると考えられている。が、その事情がなにかはわかっていない。
ようするに、冬眠というのはどういう状態になっているのかがやっとわかり始めたところで、それをどのように実現しているのかとか、なぜそのようなことをするのかはほとんどわかっていないというのが現状のようだ。なにしろ冬眠状態にある動物を観察するのが大変で、ハムスターなんかは飼うこともできるけど、確実に冬眠させる手法というのはまだ編み出されていない。そういうレベルで困難があるのだそうだ。だからマウスを冬眠に近い状態に誘導できたというのはすごいことで、もちろんマウスはそもそも冬眠しない動物であるから本物の冬眠と比べることはできないのだけど、摂氏24度ぐらいまで体温が下がって代謝が落ちる、少し経つと何事もなかったかのように元に戻る、というところは冬眠の特徴のそのもので、他の動物にももしかすると応用できるかもしれない。とはいえ、誘導するためには遺伝的な仕込みをしてから脳の特定の一部の細胞群に刺激を与える、みたいな手順を踏む必要があるので、実際に他の動物に適用するとなるとまだまだ乗り越えるべき壁は大きそうだ。
タイトルはともかく、冬眠に関してはほとんど何も知らなかったので学びがあった。著者のパーソナリティもなかなか面白く、どういうわけか人間の人工冬眠がけっこう簡単にできると思い込んで研究を始めたという謎の楽観性がある一方で、研究の歩みは着実で、さらにあくまで人の医療の役に立つことが目標という立場に立ち、スタートから一貫して小児臨床にかかわり続けてきたというキャリアもけっこう異色だと思う。そしてどういうわけか、人工冬眠という技術には確かになにかわくわくするところがある。自分が生きている間に実用的な何かまでたどり着ける可能性は限りなく小さいと思うけど、それでも進展があったらうれしいなと思う程度には応援したくなった。