脳の働きについての仮説を書いた本。著者はもともとインテルに勤めていてそこから脳の研究者を目指したが、職を探すうちに研究機関でポジションを得ることと自分が自分のやりたい研究をすることを両立させることの困難さに気づき、一旦コンピュータ業界に戻って起業して金を貯めて、今度は自分で研究所を興してしまったという大変な才能の持ち主。Palmという会社でPilot 100という革命的なPDAを作ったことでその道では知られているらしい。
まだ立証できたわけではないが、と前置きをしたうえで著者は大胆に仮説を展開する。大脳新皮質は、実のところどこをとってもそんなに構造が変わらない。何層にもなった細胞の層と、それを縦につないだり横につないだりする神経があって、動作する時はある程度の大きさの塊で動作しているっぽい。視覚に対応する部分とか、聴覚に対応する部分とかがあるにはあるが、それらのどれをとってもほぼ同じ構造をしている。そして、後天的に脳の一部に損傷を受けた人でも、ある程度は脳の他の部分でカバーできたりするし、逆に先天的に感覚器官が欠損している人は、その器官に対応する脳の部分が他の器官に対応していたりする。大脳にはどうもその手の冗長性がありそうだというのだ。中脳や小脳はそうはいかない。それらのいわゆる「古い脳」の各部分は、身体の特定の部分と分かちがたく結びついている。これらは専用の役割を果たしていて他の部分では代替が利かない。大脳は、そうではない。
著者は、大脳は空間認知に特化した部分から発達したのではないかと考えている。わたしたちが空間を、ひいては世界を、物体を認識するにあたって、脳は座標系を設定し、その中に視覚や触覚といった感覚から入力された情報を蓄積して内的な世界を作り上げる。その中に置かれた物体についてさらなる情報が必要な時には、また別の座標系を設定する(これは脳の別の部分が受け持つ)。そうやって座標系の中に小さな座標系を置き、それらを動かしたり回転させたりすることで自分と世界や物体との位置関係を予測する。その予測は脳のいろいろな部分が同時に行うことになる。予測なのでもちろん当たることもあれば外れることもあるが、脳は常にモデルを微修正しながら予測を続け、世界とかかわりあい続ける。この辺りは完全にわかっているわけではないが、それなりに裏付けになる実験結果があるようで、説明としては中々筋が通っていると感じた。
その仕組みを、空間や物体以外の概念や思想にも適用しているのが大脳全体の働きではないか、と著者は主張する。ここまで来るとかなり大胆な仮説だが、傍証がないわけではない。記憶と空間認識がどうも関係ありそうだからだ(これはこないだ読んだ本に出てた)。仮想的な空間を利用した記憶術が有用であることは体験的にもよく知られている。もともと空間を認識するための構造であるから空間を用いた記憶術と相性がいいというわけだ。立証まではまだまだ遠いにしても仮説としては魅力的で、実に面白い。
この辺の話までで本書の半分ぐらいで、後半は人工知能は作れるのかとかこういう脳の構造が社会にどういう影響を及ぼしているのかという話になるのだけど、そこから急激につまらなくなる。論考としても浅いし前半と全然関係がない。最後まで面白くなることはないので読み進めていって面白くなくなったらそこでやめるといいと思う。とはいえ前半だけでもすごく面白いので、読む価値がある本だとは思う。