黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

創作

4月から4階に戻ってきた同僚が何の用事か2階に降りてきていたらしく、俺が茶でも飲もうかと席を立ったときにちょうど戻り際のタイミングではち合わせた。おひさしぶり、と普通の感じで言われて俺もあーひさしぶり、と返して給湯スペースまでなんとなく一緒に歩く、在宅どうなの、と訊くといま週一しか来てないよ、と応じる、え?それで仕事になる?と思わず聞き返すがまあ大丈夫、VPN使えれば大抵のことはできる、出社する日はあちこちの部署行って調整っぽいことしてる、ほんとはそれはやりたくないけど残念ながらその方が効率がはるかにいい、と淡々と語る。そこまで話したところで給湯スペースに着いたが同僚はなんでもないようにスペースに入って戸棚に軽くもたれてそっちはどう、と訊いてくるのでいやー俺は週二ぐらい来てるけど在宅の日はあんま仕事にならないわ、みたいなことを答えて答えながらがっかりする。でも昼飯自分で作って喰ってんだよね、焼きそばとかインスタントラーメンとかだけどちょっと頑張るとうまいよ、焼きそばなら目玉焼き乗せるとか、みたいなことを断熱マグにティーバッグの緑茶を淹れながらつけくわえると、えらいじゃんお昼自分で作るんだ、と特に揶揄する様子もなく言ってくるのでいや別にえらくないよ自分で喰うもの自分で作るの普通だろ、在宅で仕事ばりばりして家じゃできない調整会社来る日にやってるとかよっぽどすごいよ、というとそれまでマスク越しだからわからないけどたぶん生真面目な表情で聞いていた同僚が不意に破顔して(それも目元しか見えなかったけど)私は焼きそばに目玉焼き乗せる方がすごいと思うな、と言った。
席に戻って普通に仕事する、在宅で仕事してないぶん会社では流石にかなり気合い入れて働かなきゃならないがそれ自体は嫌いではない、ある程度集中してやってるとのめりこむ瞬間がやってきてこれがフローって奴かと思う、ミハイ・チクセントミハイってなんか冗談みたいな名前だけど本名らしい、がーーーーっと働いて気がついてみたら定時過ぎててちょっと流石にびっくりする。三時間以上ぶっ通しで作業してたことになる、こりゃ今日の分ぐらいは仕事したわ帰ろうっと思ってファイルを次々に閉じ、そういやメールも見てなかったなと思ってメーラを開くと全然大した作業じゃないけど明日までにくれみたいなふざけた依頼メールが入ってて、ため息をつきながら作業をはじめたら集中力がめちゃめちゃ落ちてて普通にやりゃ十五分ぐらいの作業に三倍ぐらいかかってしまう。ようやくできたファイルを送りつけてPCを落とし、すっかり晩飯を作る気もなくしたので今日は何を買って帰ろうかと考えながら席を立つ、飯ぐらいは自分で炊いてもいいかもしれない。

『Uberland ウーバーランド ―アルゴリズムはいかに働き方を変えているか―』 アレックス・ローゼンブラット著/飯嶋貴子訳 青土社,2019-07

これは面白かった。米国を中心に、ウーバーのドライバーとして働く人 100 人以上にインタビューして、その働き方の実態に迫った本。ウーバーは利用者にとっては利便性が高く、価格もリーズナブルで快適だが、ドライバーにとってはどうだろうか。著者はさまざまな都市に赴き、実際にその都市でウーバーを利用したうえでドライバーにインタビューする。ネット上のウーバードライバーのコミュニケイションサイト(山のようにあるらしい)をあちこち覗いて、ドライバーたちの本音に近い情報を集める。時にはウーバー社に直接話を聞く。地道なフィールドワークから浮かび上がるウーバードライバーの働きぶりはどの都市へ行っても驚くほど似通っている。最初はやる気に満ちて仕事を始める。特にその都市にウーバーが参入したての頃はかなりいいレートが払われる。ところがだんだんレートは下がっていき、生活は苦しくなっていく。朝晩のハイタイムは需要も多くそれなりの料金になるが、それに合わせた働き方をするとなると家族と過ごす時間はどんどん削られていく。
また、日本でもウーバーイーツで広く知られるようになったが、ウーバーはドライバーを雇用しない。配車ソフトのエンドユーザーとして、個人事業者であるドライバーを認識しているというのが建前だ。「自分自身が自分の上司になれる」というのがウーバーのドライバー募集の決まり文句らしい。しかし実際にはウーバーはレートやペナルティでドライバーの動きをコントロールできる。それに逆らって働くのは、少なくともウーバーのドライバーとして生計を立てようとするなら不可能に近い。それでもウーバーはあくまで自分たちは配車ソフトウェア/プラットフォームの提供者であるという立場を決して崩そうとしない(あたりまえだが)。
そして、ドライバーも一枚岩ではないところにさらに深刻な問題がある。そもそもそれぞれが個人事業者である、というのもさることながら、余暇で小遣い稼ぎをする、パートタイムの収入を得る、というレベルのドライバーも少なくないからだ。彼らにしてみればそこまで高いレートは必要ないし、ハイタイムにこだわらずともぼちぼち稼げればそれで充分だ。つまりフルタイムのドライバーにとっては彼らはけっこう厄介な商売敵ということになり、たとえばドライバーたちが団結してレート引き上げを要求するようなことは難しくなっている。そのような分断が構造上最初から存在しているのだ。
著者はあくまで礼儀正しく、決してウーバーを悪とは断じずに、淡々と大量の事例を提示しながらウーバーがどういう会社かを描き出す。その手つきはほとんど執拗と言えるほどで、それでも面と向かって批判しないのはやっぱり訴訟リスクとかあるのかなと考えてしまうが、ともあれ中々すごい本だと思う。海外でウーバー使ったりするとこりゃいいねえと単純に思いがちだけど、たぶんちょっと待ったほうがいいとこの本を読むと思わずにはいられない。ギグエコノミーそのものには可能性を感じるのだけど、それに最適化した仕組みを作ってしまうということは既存の労働の仕組みをぶっ壊してしまうことでもある。この流れに乗り遅れるような国は沈んでいくのかもしれないが、それでも本当にこれでいいのか、おれにはどうにもわからなくなってきた。

『ベーシックインカム』 井上真偽著 集英社,2019-10

ベーシックインカム

ベーシックインカム

ミステリ畑で活躍する(らしい)作者の五冊目の作品。五編の短編が収録されている。少し未来の、見えてはいるがまだ実現していない技術、あるいは実現しているが普及までは至っていない技術が当たり前になった世界で起きる事件と謎解きを描く。その意味ではおれが考える SF の定義にのっとっている。一方ミステリ側のことはおれはよく知らないので、例えばこれが本格なのか本格じゃないのかとかそういうことはよくわからない。
ずいぶん経ってしまったのでかなり忘れているが、ストレートな驚きのあった冒頭の「言の葉(コトノハ)の子ら」と、VR を題材にとった「もう一度、君と」がよかったかな。他の三編「存在しないゼロ」「目に見えない愛情」「ベーシックインカム」もそれぞれによくできていたと思う(えらそう)。

在宅

息子に言われて息子が縄跳びで二重跳びをするところを動画に撮ってスローで見てみたのだけど、まだ一回しか跳べないということもあるのだろうが思っていたよりもジャンプしてから縄が来るまでは遅く、下り始めるかぐらいでやっと一回目が通過して、着地寸前にぎりぎり二回目の縄がやってくるという感じだった。あらためて見てみるとけっこう面白い。こんな風に普段何気なく見ているものでも違う見方をすると全然違って見えるものだな。スマホでスローで見るなんていまさら目新しくもないはずなんだけど、実際にはほとんどしたことなくて、発見は残されているという。

子供に触発されて縄跳びやってみるけどまじで下手になってるし体力落ちてるしどうしようもない。二重跳びようよう 12 回。先日義姉と立ち話したときまだ三重跳びできるとか言ってたんだけど、そんなこと可能なのかという感じである。尊敬しかない。

英数/かな変更

先日の karabiner を使ったキーバインドの変更の時、もうひとつ変更をしていて、IME のオン/オフ切り替えを伝統の command + SPC から command キー単独押しに変えた。これはよかった。command を誤って押してしまうことはほとんどないし、そもそも command + なにかという操作自体ほとんどしないので、押しミスで変わってしまうようなこともまずない。根本的にトグルがよくないのでは?という説はあって、ベストではないのかもしれないけれど、とりあえずはこれで行こうと思う。

『嘘と正典』 小川哲著 早川書房,2019-09

嘘と正典

嘘と正典

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/09/19
  • メディア: 単行本
『ゲームの王国』でいきなりすさまじいデビューを果たした小川哲の短編集。どんなものが飛び出してくるかと思ったがあそこまでの凄みはなく、しかしどれもなかなか面白かった。「魔術師」はマジシャン親子の話で、わりと最近『魔法を召し上がれ』を読んだこともあって興味深く読んだ。あちらが魔術師の手技や技巧を鮮やかに描いていたのと比べると華やかさはないが、しかし時を超えた仕掛けと狂った執念を描いて面白い。なんとなく、偏見も混じっているけれど、マジシャンってこういう人けっこう居るんじゃないかという気がするのだよな。そしてそれを確かに居るように描き出す書きっぷりは見事だ。「ムジカ・ムンダーナ」は父から託された曲を探す主人公を通して音楽の力と可能性を描き出す一編。冒頭の設定がぐっときて物語に引き込まれるし、全編にわたってかなり贅沢にアイデアが注ぎこまれていて楽しい。「ひとすじの光」は競馬が題材で、おれも見ていた頃の競走馬が出てきてそれはちょっと面白かったが、物語としてはもうひとつというところ。「最後の不良」は既読。悪くはないんだけどという程度。表題作「嘘と正典」は分量的にもテーマ的にもこの短編集の中心となっている作品で、ざっくり言えば歴史改変なのだけど、ここに干渉するかという題材を持ってきていて、そこのディテールと改変の影響が実に面白い。こういうところが著者の持ち味なのかもしれないと思う。
なかなかよかったので、次作が出ればまた読みたい。