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『日本語のために』 丸谷才一 新潮文庫,1979(品切)

丸谷才一の日本語に関するエッセイを集めたもの。国語の教科書に怒っている前半が最高に面白い。これが書かれたのは相当昔の筈だが、自分の記憶に照らし合わせて「ああ、そういえばこんな感じだったなあ」と思うところもあったので、ひょっとすると今でも状況はあんまり変わってないのかも知れぬ。
おれは、言葉が「正しい」とか「正しくない」とか言う言い方をするのは、大抵間違っていると考えている。以前もこういうことを書いたことがある。


ただ、基本的には言葉は生きているし変化してなんぼだ、と考えている。意味が通じている限りはその用法は全て「正し」く、それが多数派になれば古い方はだんだん姿を消して行くだろう。少数派のままであればいずれはすたれて元に戻るだろう。それだけのことだ。
それと好きか嫌いかは本来全く別のフェイズの話であって、何を嫌っても何を好いても個人の自由だけど、それに「正しい/誤ってる」ってレッテルを貼ることは本質的におかしい。もちろん貼るのも勝手だけど、おれはそれは気にしないし貼ってる人の評価はこっそり下げると思う。
実際は、丸谷才一もこの陥穽におちいってはいる。丸谷は今に至るまで日本語が力を失くしたことを嘆いているようだが、残念ながら言葉には多分そこまでの力はない。もしかつての日本語が丸谷の言うだけの力を本当に持っていたのだとしたら、それを使いこなせる人は多分限られていたことだろう。要するに、現代の言葉がそこまで下りて来たことは、直接なにかのプラスやマイナスにはならない、のだと思う。
ただし、この本の中では丸谷才一の判断基準は基本的に「いい」か「悪い」か、――とどのつまり好きか嫌いかで決めているのだが、その判断が鋭く、文章にも少なくともおれを納得させる力がある。具体的な例を引き、ほめるときはこれ以上はないほど持ち上げ、けなす時も徹頭徹尾けなしている。それが本当に気持ち好いほどで、おれがこれを面白いと感じたのは、言いたいことを言い切る文章に珍しくも出会ったから、なのかも知れない。
こう書くと内容は大したことないみたいだけど、もちろんそんなこともなく。具体的な提言全部が役に立つとは思わないが、全体として示唆に富んでいる文章。絶版らしいのは残念だ。入手困難というほどでもないのだろうが。