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『アウトロー・オーシャン:海の「無法地帯」をゆく』〔上〕〔下〕 イアン・アービナ著/黒木章人訳 白水社,2021-06-30

ニューヨーク・タイムズ紙の記者である著者が、海上で起きているさまざまな不法行為や脱法行為を取材して回って書いたノンフィクション。信じられないほどの行動力と、度胸と体力と筆力で積み重ねたとんでもないレポートだ。
たとえば冒頭の章はシーシェパードの船がマゼランアイナメの不法な漁を行っている漁船を追いかけるのに著者が同行して書いたものだが、なにしろ相手はあほみたいに広い海にいる。いちおう漁船には必ず現在位置を発信する装置の設置が義務付けられているが、それも悪意さえあれば切ってしまえる。港を押さえようにもどこに寄港するかわからないし、残念ながら無法者に便宜を図る港は世界中にいくつもあるらしい。そしてどこの国のどんな法律に基づいて相手を押さえようとするのか、実際に追いついたとしてどうやって不法操業を止めさせることができるのか?……とまあ、ざっと考えても様々な課題が挙げられる。当該の漁船は違法な漁を繰り返しに繰り返していて、悪質な漁船のリストにも入れられている。にもかかわらずその操業を止めさせるのは容易ではないし、そもそも誰もやりたがらない。本来であれば管理しなければならないその船が船籍を置く国も、いざ何かあれば船籍登録を抹消してしまう、という逃げも横行しているという。ひどい話だ。
ひどい目に遭っているのは魚だけではない。漁船で働く労働者はしばしば悲惨な環境で働かされている。日本でも一昔前は「借金作ってマグロ漁船に乗せられる」といえばわりとよからぬイメージではあったけど、国際的には――特に東南アジアではまだまだ現役のスキームなのだそうだ。典型的なパターンとしてはカンボジアやヴェトナムあたりの農村からいい働き口があると言われて連れてこられ、高い斡旋料を借金して払わされて船に乗り、乗ったら最後ただでさえ不法に安い給料からなんだかんだ名目をつけて天引きして借金を返させない。失くさないようにといってパスポートと財布を預けさせられてしまい逃げ出すこともできない。船は不潔で船員には食料や水も満足に与えられず、病気や怪我をしても薬もない。およそ現代の陸上ではありえない環境が、著者の取材によればどうも珍しくもないようなのだ。
洋上というのはそもそも無法地帯になりやすい、というのが根本的な問題ではある。各国の領海を出てしまえば、それぞれの国の法律は及ばない。EEZ の定めはあるが、どこの EEZ にも属さない公海もまた広いし、遠洋漁業の多くは公海で行われる。船の上のことは本来であればその船が船籍を置く国の法律が及ぶ範囲だが、知っての通り主に税金の都合で船の船籍というのはしばしば所有者や使用者とは縁もゆかりもない国に置かれることがあり、さらにそれすらも上で書いたように一方的に取り消されてしまったりする。船は自由に動き回れて、さまざまな国の港に立ち寄ることができる。違法な行為があったところで、証拠をつかむのも難しいし、まして実効的に取り締まることは非常に困難だ。政府にしてみればそこまでして漁船一隻とっちめたところで……というのが正直なところであろう。
この他にも海底資源とサンゴ礁の話や、破産した会社が所有していた船を素早く占有することを仕事にしている男の話、洋上で捨てちゃいけない廃水をだばだば垂れ流しちゃうクルーズ船の話、などまだまだアウトローは登場する。そんな中で最後の章が日本の調査捕鯨船だったのが日本人的には中々複雑な心境にはなるところで、しかもわざわざ「これを最後の章にすることは決めていた」みたいなことまで書いてあってどんだけ……と思うのだが、読んでいるとまあ仕方ないかなと思うところもあるのだった。『テスカトリポカ』脳的にはドラッグとかの話全然出てこないあたり若干物足りなさもなくはないのだが、そっち行っちゃうとまじでやばいんだろな。
というわけで、中々面白い本でした。けっこう大部だし上下巻なんで分量はあるけど、好きな人ならさくさく読めると思う。