黄昏通信社跡地処分推進室

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久しぶりに「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」を読みたくなって、妻の本棚から引っ張り出してきてみた。
この詩を初めて読んだのは実家にあった『現代詩読本 谷川俊太郎コスモロジー』に収録されていた抄だった。限られたページ数で多くの作品を収録しようとするのは理解できるのだが、だからといって切り刻んで接ぎ合わせることが正当化されるとは思えなかった。それでもいい詩だと感じ、いつか完全版を読んでみたいと思っていた。といっても、図書館で探したりもしなかったので、それほど本気で思ってたわけでもないのかも知れない。
ともあれ、妻が『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を持っていたので、思いがけず完全なものを読むことができた。それが、読んでみると、抄の方に慣れていた所為もあるのだろうが、なんかちょっと長いな、と思ってしまった。後半はいささか冗長な印象も受けた。
今回読んでみても、やはり少し長いと感じた。抄も中々巧い切り出し方をしていたということなのだろう。特に最後が「話題って変わりづらいな」のところで終っていて、この終わり方はいいなあと思っていた憶えがあるのだけど、実際はその後結構長々と続くんだよね。
でもこの詩自体はやっぱり好きです。


普通ってのは真綿みたいな絶望の大量と
鉛みたいな希望の微量とが釣合ってる状態で
たとえば日曜日の動物園に似てるんだ
猿と人間でいっぱいの
この一節は何度読んでもよい。さんざんねたみたいに使ったけど、それだけ好きということだ(自己正当化)。「普通ってのは」というところもいい。