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[頭と指先を鍛えよう!]/心に残るゲームたち(番外編6):渋谷会館の思い出

渋谷会館がとうとう閉店するそうだ。「渋谷会館」自体は本当はビルの名前であってゲーセンの名前ではないのだが(ゲーセンの方は「モナコ」という)、しかし実際渋谷会館と言われてあのゲーセン以外のことを想像する人はそう多くないようにも思うし、実際おれもあのゲーセンのことこそを渋谷会館と呼んでいたのでここでは「渋谷会館」で通すことにする。余談だがあのビル自体は6階建てで6階にはオフィスが入っていた*1。このことも知っている人は多くないかも知れない。


おれがゲーセンに通い始めたのは中学1年生の頃だが、その頃には渋谷会館は既に老舗の部類のゲーセンであったと記憶している。1980 年代後半のことだ。渋谷センター街に直接面していて駅から徒歩2分半という立地に在りながら1プレイ 50 円という価格設定を頑なに守り、しかし並んでいるゲームのラインナップは微妙にぱっとせず、エレベーターはこの頃から今にも止まりそうだった。*2


渋谷には実は 50 円のゲーセンは結構たくさんあった(新宿が当時から基本的に 100 円だったのと比べると対照的だ)。渋谷会館の向かいの 223、地下にあって死ぬほど煙草臭かったスポーツランド、おなじく地下の、ゲーマーが比較的よく集まっていた中央プラザ、辺りは全部1プレイ 50 円だった筈だ。だから 50 円であること自体はそれほど珍しくも不思議でもなかったのだけど、でも渋谷会館はなんというかちょっと違った。
居心地がいい、までいうと肯定しすぎだけど、しかしなんとも言えない存在感があって、渋谷に来たらとりあえず足を踏み入れておくべきゲーセンだった。まず地下に入って、それからエレベーターか階段で5階まで上がって、1フロアずつチェックしながら下りてくる。台数は多いもののそんなに入替は頻繁じゃないから、どちらかというとチェックというより確認に近かったけど、それだけに気になっていたゲームが入ると大抵の場合しばらくは置かれていたからその意味では有難かった。
そういえば地下と地上が別のゲーセンだったことはどのくらい知られているのだろう。「モナコ」は2階から5階までで、おれが行き始めてからかなり長い間タイトーの直営店だった。地下はまったく別の店舗だった。いつの間にかモナコタイトーの直営じゃなくなっていたし地下もモナコの一部になっていた。


渋谷会館でやりこんだゲームは実はそんなに多くない。人生で一番ゲーセンに通っていた時期は中学生から高校生の頃で、その頃は学校の近くのゲーセンに行っていたから。それでも日曜日や長期休暇にはよく足を運んだものだった。また、その時期にやりそびれてしまったゲームにあとからはまって、他のゲーセンから姿を消したあともしぶとく渋谷会館が置いてくれていたそれらのゲームを数年遅れでクリアした、という例がいくつもあった。
ボナンザブラザーズ』。
これは本当に他のどこのゲーセンでも見なくなってから初めてやった。どうして当初の稼動時に遊ばなかったのか後悔するほど面白かった。一切残機が増えないストイックなシステムで、ある程度以上の腕になるとだんだんメンタルの影響が大きくなってくるきらいがあったが、それはそれとしてどうにか1コインで全 12 面をクリアした。おれがやらなくなったらわりとすぐに撤去されて、ああ間に合ったんだと思ったのを憶えている。
『キャメルトライ』。
このゲームはクリア自体は簡単で、とっくにクリアはしていたのだけど、ある時ここで 4.36.0 というタイムを見かけて、それをきっかけに通常のボールでタイムアタックしてみようと思い立ってからはタイムをメモしたりしつつ結構やりこんだ。最終的なベストタイムは 3.44.5 と、まあしょぼいもんだったが自分の中ではかなり達成感もあったし満足できる数字だった。
『ぺんぎんくんWARS』。
小学生の頃 MSX で遊んだゲームと思いがけず再会して、かなりやりこんだ。2周目2面以降は1ミスが即1ゲーム落とすことにつながるほどシビアなバランスで、2-4 のビーバーは泣きが入るほど強かった。たった1回だけ3周目に進めたのは忘れられない。
そして『ゲイングランド』。
もしかすると渋谷会館で一番プレイした時間が長かったのはこのゲームかも知れない。なにしろおれはこのゲームが下手で、全然向いてないのに根気とプレイ回数だけにものを言わせてどうにかクリアに辿り着いたからだ。たぶん期間にしても4年ぐらいやってた筈だ。他のゲーセンでもやっていたし、クリアしてからも遊んだけれど、なんといってもクリアするまでの苦難の道のりは渋谷会館で歩んだ印象が強いし、初めて1コインクリアしたのもここだった。
生まれて初めてのデートの前にうっかりこのゲームをやったら尋常じゃなく調子がよくて、それまで 3-2 どまりだったのがほぼひとりも無くさないで 4-2 まで進んじゃって、我に返って時計を見た時の血の引く感覚と5階から駆け下りた階段の長かったこと、今でもまざまざと思い出せるしたぶんこの先も忘れまい。若く愚かで無粋な当時のおれにひとつ告げておくと、お前は歳を喰っても愚かで無粋だ。


その他にもいろいろな思い出が詰まっている。大勢のギャラリーの中でプレイするのが妙に気持ちよかった 50 インチ画面のテトリス。地元の友人が結構うまかったプリルラ。仲間うちで妙に流行ったビッグラン。時々見かけたジョイジョイキッドが死ぬほど上手いおっさん(ロードランナーシリーズが死ぬほど上手い人も居たっけ)。アップライト筐体のホットロッドと、それを3時間以上ぶっ通しでプレイする友人。妻と、まだ結婚する前によく遊んだストライカーズ1945IIやタンクフォース。手元の記録によると少なくとも 2005 年までは置いてあったトーキョーウォーズ。ここの地下でしか見たことなかったラストサバイバー。蹄鉄投げをアーケードゲームにしちゃう発想に度肝を抜かれたSHUUZ。
ああ、挙げていけばきりがない、おれは計測できないほどの時間を渋谷会館で過ごして、頭と指先を鍛えてきた。建物の西側側面に「頭と指先を鍛えよう!」と縦書きででかでかと書かれていたのをみんな憶えているだろうか? 駅から来ると見えない側だけど、おれの家は駅と反対側だったから、隣のビルが改築して完全に隠れてしまうまで、その標語を毎回毎回見続けたんだ。隠れてしまってからも、店の入口の電光表示板でそのコピーが使われているのを見たときには本当に嬉しかった。お店の人も、きっとあの標語に、ゲームセンターが今よりもっとずっと薄暗い空間だった頃に少しでもそれを払拭しようと誰かが考えたに違いないあの標語に、愛着を持っていたんだろう。それを感じられたのは嬉しかった。


しかし近年足が遠のいていたことは否めない。生家を離れ、渋谷に行く機会もゲーセンに行く機会もめっきり減り、ここ数年は年に一度行けば多い方だったと思う。
別れを告げなければ、と思い、実は先日久しぶりに渋谷会館に行ってみた。ビルのたたずまいはおれが初めて足を踏み入れた日から殆ど変わっていなかった。まずのぞいてみた地下1階も10年前と大差なかった。懐かしいという感じともちょっと違うな、と思いながら、昔と同じようにエレベーターに乗って5階へ上がった。
フロアは思いのほかにぎわっていた。格ゲーの対戦台や練習台がずらりと並び、プレイヤーたちが勝負に興じている。筐体こそ古かったけど、基板のラインナップは予想していたよりもずっと新しい。実は古い格ゲーも結構混じっていたのかも知れないが、なんというか現役感があった。4階も似たような感じで、3階になると今度はクイズゲームなんかが並び、2階には音ゲーがいろいろ置いてあるみたいだった。思わずお金を入れたくなるゲームは、少なくとも地上のフロアにはなかった。
渋谷会館はただのレトロゲーセンに甘んじることなくキャッチアップの努力を続けていた。おれは最新のゲームにはここ数年間文字通り目もくれなくなっていて、結果的には今のゲーセンには居場所を見つけることができない。とすれば、すでに道は分かれていたのだろう。離れていったのはおれの方なのだ。そう思うと妙に納得できるところがある。
とはいえ、寂しくもあり、残念でもある。おれはこのゲーセンに育てられたのだ。名残を惜しむ権利ぐらいはあるだろう。この場所を通るたびに、自分が青春を浪費した空間を懐かしく思い出すに違いない。


おれの子供たちが行きたいところへ行けるような歳になったら、どんなところで遊ぶのだろうか。時間とお金をなげうてる何かを見つけることができるだろうか。その頃にはゲームセンターはどんな場所になっているだろうか(そもそもあるのだろうか?)。


終わったみたいに書いてしまったが、営業自体は8月末まで続けるそうだ(修正:08-18 が最終日と決まったとのこと)。7月までは通常営業、8月に入ってからは漸次筐体を減らしていく恰好になるという。なんらかの形で思い入れがある人は遊びに行くのもいいだろう。昔のようにレトロゲームがぎっしり並んでいる様を想像して行くとちょっと期待が外れるかも知れないが、地下にはまだかなり古いゲームが残っているからまるでがっかりすることもないだろう。希代のゲーセンの姿を目に収められるのは、あと2ヶ月足らずだ。




続きに過去のレトロゲームエントリ一覧。
(35-1) [スプラッター一発ぶっぱなせ]:『スプラッターハウス』(1988)(回顧編)

(番外編5) [R-TYPE 7面ボス]

(34) [川が汚れちゃ困るんだよ]:『Dr. トッペル探検隊』(1988)

(33) [タイマン勝負!]:『ギャラクシーファイト』(1983)

(番外編4) [聖地と呼ぶにはあまりにも]

(32-2) [帽子に花を咲かせましょう]:『WIZ』(1985)

(32-1) [手はグーで飛んでくる]:『魔法使いウィズ』(1986)

(31) [長えよ]:『野豚の異常な食欲 またはいかに私は心配するのをやめて蛸を愛するようになったか。』(1984)

(30) [Merry Merry Christmas]:『ザ・グレイトラグタイムショー』(1992)

(29) [ワルシャワ条約機構の悲哀]:『SUPER大戦略』(カードゲーム)(1989)

(28) [半魚人]:『ヘビースマッシュ』(1993)

(27) [キャノンボール]:『ポンピングワールド』(1989)/『スーパーパン』(1990)

(番外編3) [語れるほどは知らないんだけど (1)]:『ラフレーサー』(1990)/『エスケープキッズ』(1991)/『ホットロッド』(1988)

(26) [シャッターチャンス]:『フォトバトール』(2001)

(25) [スパイアンドスパイアンドスパイ]:『シークレットエージェント』(1990?)

(24) [銃と弾丸]:『ガンバレット』(1994)

(23) [たくさんあるぜ]:『タントアール』(1993?)/『イチダントアール』(1994)

(22) [おれたちゃ義賊(まあ、たぶん)]:『ボナンザブラザーズ』(1989)

(21) [文字だけのインベーダー]:『コズミックレボ』(1984)

(20-2) [なつがくればおもいだす]:『超絶倫人ベラボーマン』(1988)(小ねた集)

(20-1) [全力でぶったたけ!]:『超絶倫人ベラボーマン』(1988)

(19-2) [あがけ、最後まで]:『ぺんぎんくんWARS』(1985)(攻略編)

(19-1) [競技の名はドジボール]:『ぺんぎんくんWARS』(1985)(回顧編)

(番外編2) [MTJ 氏のこと]

(18) [おまえはワイドだ]:『オメガファイター』(1989)

(17) [かみさまおねがい]:『高田馬場アドベンチャー』(1983?)

(16) [力を合わせて]:『ゲイングランド』(1988)

(15) [麻雀に似たなにか]:『スーパーリアル麻雀P4』(1992)

(番外編1) [ファミコン版との違いを教えてやる]:『ツインビー』(1985)

(14) [幻のライバル]:『キャメルトライ』(1989)

(13) [Ready Go!]:『プラスアルファ』(1989)

(12) [終わりなきゲーム]:『ギガンテス』(1990)

(11) [追っかけっこ]:『ポリス&ギャング』(1983)

(10) [今度は縦スクロール]:『イメージファイト』(1988)

これより古いバックナンバーは現在再掲載の準備中。

*1:あのビル自体は6階建てで6階にはオフィスが入っていた:実は9階建てだったと記憶していたのだが(かつてはエレベータのボタンが2列になっていて6〜9階とおぼしき部分がプラスチックの板で塞いであったと記憶している)、ちょっと調べてみた感じでは6階建てだったらしい。いずれにしても6階はゲーセンとは別の事務所が入っていたはず。5階まで階段を上がりきったところのすぐ左に扉があって上り階段になっているのだけど、多くの人の盲点になっていると思う。

*2:余談だが、ここのエレベーターは改修前は一応定員5名ということになっていた。しかし成人男性が5人乗るとまずブザーが鳴り、5人乗ることはほぼ不可能だった。また改修前は扉の開く動作をかごの中から「閉」ボタンを押し続けることでキャンセルできるという他のエレベーターでは見たことのない仕様があって、外で待っている利用者を締め出したり目的階に着いても扉を開けずに中にこもったりしていることができた。改修後は定員が4名にあらためられ、扉が開くのをキャンセルすることもできなくなった。これまで生きてきた中でもエレベーターの改修でがっかりしたのはこの時ぐらいである。