黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

検索ワーヅ:ダビスタ フェスティブキング

全然意図がわからないが、これで複数回(違う日に)来ていてちと気になる。とはいえダビスタはやったこともないので(競馬も血統もゲームも好きだけど、ダビスタはやる気になれなかった。これについては機会があれば書く、かも。)、フェスティブキングについてちょっと書こう。
昨年メイショウカイドウが「小倉三冠」を成し遂げてちょっと話題になったけど、特定の競馬場に対する相性という点ではフェスティブキングもなかなかのものだった。29戦5勝のうち福島競馬場の成績が5戦5勝。福島では生涯負けなかったし、福島以外の競馬場では生涯勝てなかった。
中でも4歳時に勝った代替開催の関屋記念がハイライトで、この開催で既にフェスティブキングは2回走っていた。いずれも勝利をあげたのだが、2回目の 900 万下は関屋記念の前の週。「疲れがなく具合もいいようなので」と陣営は関屋記念に登録したそうだ。まさか勝ち負けするとは思っていなかっただろう。しかしコーナー4つの 1700m に時計のかかる馬場、そして外目の枠、と完璧な条件が揃ったその重賞で、十八番のまくりを決めてインタークレバー以下 11 頭を下して優勝してしまう。1開催3戦3勝の離れ業に重賞初制覇。おまけに、鞍上の成田均騎手は 37 歳にして平地重賞初騎乗初勝利の記録を残した。
前年の1回福島と合わせて、たった2開催で5勝をあげたフェスティブキングは、しかしこの直後に始まった福島競馬場の改修工事と呼応するように成績を落とす。秋の朝日チャレンジカップでは三角過ぎからずるずると下がり、大差負けのロンシャンボーイに遅れること 1.6 秒、勝ち馬から実に 7.1 秒も離されたしんがりに終わった。すわ故障か、と心配させたが(おれを)、一月後の毎日王冠に何事もなかったように出てきた。なんのことはない、包まれた上にペースが速すぎて嫌気が差しただけだった。
結局、フェスティブキングはその後泣かず飛ばずのまま引退し、改装なった福島競馬場の芝生に立つことはなかった。路盤が新しくなった福島は、以前のようにやたら時計がかかることは少なくなったし、まくりが決まることも少ない。フェスティブキングが勝ち負けできたかどうか、冷静に考えるとちょっとわからない。それでも見てみたかったという気持ちと、無敗を守れてよかったという気持ちが、今でもおれの中で相半ばしている。